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時間旅行考察

それが与えられるものでも、自ら勝ち取るものだとしても、
それが与えてくれるものにどうやらちがいはなさそうです。
ぼんやりしたものが、かちっと、パズルのピースであったかのように、
形作られている型にはまる。
この流れは理解することと同じような流れにみえる。
情報と理解は同義あるいは、相互関係のある感じと
言えそうです。

では仮にそうだとしたら、どんなことが言えるでしょう。
世界は情報で満ち溢れている、というよりは、
私たちは世界を認識することによって
はじめて世界を知る、二重言葉のようですが、
単に当たり前のことが言いたいだけです。
世界がそれで満ち溢れているというよりは、
言葉を入れ換えていって、

世界を認識する
世界がどんなものかを理解する
世界を情報化して読み取る

とまぁこんな流れで言葉遊びしてみますと、
何となく私達が知っている世界は私達が認識して、
初めて存在している、
とか、
世界を情報によって形作られている、
といえそうだというのも、
何となくそんな気もしてくる話のようです。


こう言う観念先行の話はともすれば

哲学的だね、

の一言でカテゴライズされ隔離されてしまいそうです。
カテゴライズとはまさに情報化な感じですが、
この場合のカテゴライズは
人の興味は千差万別であるというだけのお話なので、
カテゴライズされた側はどうしてもムッとしてしまい勝ちですが、
そうではなく、諦感をもつジャンルですね。

とにかく、情報という言葉についてのひとつの考えを
記してみました。

時間旅行考察

肝心なことを考えてなかった気がする。

それは、情報とはでしょうね。
情報技術が一般用語になって久しく、
いまやあって当たり前となっています。
面白いですね。
小さい頃は携帯と言えば流行り物好きの伯父が肩から
下げてたりした程度で、
私たちの世代だと、家庭環境によれば、
ポケベルやピッチすら触らずに、
家の電話や公衆電話から携帯に直に飛ぶことも
珍しくなかったのではと感じのは、
私が田舎者だからでしょうか。

ともかく日々はとても進歩してますね。
歴史がどんどん動いてる感じ。

そんなわけで、情報と言えば何となくITが思い浮かび、
マスコミが思い浮かび、ネットの情報掲示板が出てきたり、
株価のグラフが出てきたりと、
何となく、形がないようなものを、
リアルタイムでグラフィカルに認識できるものが、
情報って感じがする、て言えるでしょうか。

うーん、考えたことなかったな。
一般論から大きく外れてないと期待するけど。

ともかく、上記の認識を前提にするなら、
情報というものは、何かを教えてくれるもの、
そんな感じのものだと言い換えられるでしょう。
過激な年上のかたは、若い者は与えられるのが
当たり前だとお怒りになりそうな認識ですが、
自分で獲物を狩って生きてるたくましい野性動物だって、
餌付けできたりするものですから、
与えられればそれに甘んじるのは
当たり前でただの現象にすぎないとは別の話でしょうか。

仮にたくましくハングリーに考えてみるとしましょう。
情報はお空から降ってくるものではなく
(お空=テレビの画面やネット世界等)
自ら進んで発見するものだとしましょう。


時間旅行考察

さて、この辺の話に興味のある人は、
この世界は私達が認識しているからこそ
存在していると言う考えを耳にしたことがあるかたも
いると思います。

それは多分、量子論から来る発言だけではなく、
本質的にはこういった情報の説明から生じるもの
だと私は考えています。

ピント来ないかたは、観測とはなんぞやと
思いを巡らせると、いいかもしれません。


どうであるにせよ、現実問題としての時間旅行は
既存の概念では面白いことになりそうにないな、
とこう、私が考えたのも無理からぬことであったと言うことは、
既にお分かりだと思います。

ひとつお話として考えているのは、
まさに情報という観点から、
時間旅行を試みようというものです。

時間旅行考察

話が遅々として進まない。
最も電車に乗って、お勉強の結果をのんびり
考えながら書いてるのでしょうがない。

エネルギーも考えてみるにはとても魅力的だと言う予想は
するけれど寄り道をし過ぎて本筋がぼやけるのはあまり
得策ではない気もする。

えーと、粒子か。
取り敢えず粒が実態を持っていて、
世の中に働きかけているようだってとこまで考えた。
今朝はちょっと寝ぼけてるねん。
なのでいつものように回りくどくできそうにない。

粒子はなんだ。
私の粒子への意見は、
彼らは情報であるというものです。
ビット云々の話はよく知らないが、
そういうかんじじゃなくって、
そもそも粒子という捉え方そのものこそが、
インフォメーションだと思うんですよね。
数字で言うなら1です。

世界は連続してるように見えるし、
区切りがあるようにも思える。
この思いを具体化したものが情報であり、
区切る操作そのものはまさに数字を数えるのと同じですね。
つまりどのような話でも、なにかを基準にしたかったら、
そいつで割り算してあげればいいって
事なんでしょうねぇ。

さて、そうである以上、
あまり物理が好きではなかったが、
変な話をするのが大好きだった高校時代の私に、
君は光は粒子論、波動論どちらだい?という、
唐突かつよくわからない友人の問いに対する答えも、
特に専門的に学んでない私でも今は自分の考えを、
より述べられますね。

時間旅行考察

粒子ってなんだろう。
名前のままとるなら、粒だ、つぶつぶ。

ところが、
粒が集まってものが形作られているって考えてたら、
反応とかも粒々が担ってそうとなっていったようだ。

どう言うことだろう?

熱いは物じゃない。
文系に言わせれば形容詞だから当たり前じゃんとか
言うのかもしれないが、私は理系でも文系でもないから、
そういった小難しいはなしはなし。
じゃあ熱いってなんだ?
火は熱い。
火であぶった火鉢も、問題なく熱い。
熱いものは熱い。よくわかる。
そうだ、わかる。
かんかくで。
熱いは感覚だ。
実際問題熱さを決めてるのは、
粒々たちの動きの激しさ具合だというのは、
勿論義務教育で習うので、割りと常識だ。
私だってそのくらいは知ってる。

圧力は?
蒸気機関とかで習うあれだ。
もしくは山の上や、海のなかに未開封のポテチを持ってくと

どうなるかというあれだ。

あれの正体は、粒々が押してくる、自己主張の力だ。

はて、どっちも粒々の運動の具合について語ってそうなのに、
違う話に思える。

そのとおり、粒子の運動の激しさを
私たちは熱と感じるし、
その運動してる粒子が実際にどのくらい周囲にぶつかって
押しているかを、私たちは圧力としてかんじるわけです。
この二つを利用してるのが蒸気機関と言うわけで、
どちらも本質的には同じことがらなんだからと、
考えやすく登場してるのが、
エネルギーって言葉なようですな。

時間旅行考察

時空間への多くの認識そのものが、
私達の錯覚であるというのが、私の考えです。

似たような話で、近いものはなんでしょう。
次元、も同程度の話であると思います。

確かに、耳にする次元と言うものは、
あたかもひとつの世界の構成要素に聞こえるし、
その理解はとても魅力的です。
ただしそれはお話としては、だと感じます。

次元と言うのは人の世界へのアプローチの手段のひとつ
以上の意味はなさそうです。
人の思考は神をも生み出せますが、
思考がうみだすものは、同程度の思考という受け皿が無いと、
理解できません。
どんなに素晴らしい宗教家でも、犬やハムスターに神の存在を
教えることはとても困難を極めるでしょう。
次元も、その言葉そのものが力を持っているように感じますが、
恐らくは思考の共有がみせる幻想ですね。

確かに歴然とした次元に住み別れて、
二次元人を三次元人が俯瞰できると思えるように、

ー立体である私達が平面人、紙の上にかかれた
人のすべてを見下ろすことができることは自然に思えるー

五次元世界からは私たち四次元の世界が俯瞰できたり、
もっと甚だしいことには、超能力のよりしろとして
考えられたりしていることでしょう。

思想は自由であるべきだと信じていますが、
どうように学問、ましてや西洋科学などは
思想に縛られてはならないはずですね。

タイムパラドックスは思想の共有が産み出す
幻である可能性について少しだけ考えをのべました。
次はそうですね、粒子について
考えを巡らせてみましょう。
重力子や時間粒子という言葉は、
とても魅惑的に聞こえますからね。

時間旅行考察

幻想?

そう、色んな話が世界っていう広大なフィールド、
白紙のクロニクルが存在すること前提に話されてる気がする。

画一的な宇宙では、
そもそも歴史は過去から未来を通して、すべて決まっており、
そして誰がその歴史書を記したかというと神、となるわけだ。
この世界においては人の力で歴史書は書き換えられない。
だからタイムパラドックスは起こりえない。
そもそも過去に行くことすら許されないだろう。
少し遊び心がある人なら過去に旅行することくらいは許してくれるかもしれない。
それでも神のシナリオを書き換えることはあたわないのだ。

神を信じないけど宇宙が画一的だと感じる人は、
シナリオを書き換えた瞬間、未来もそれに応じて変化すると思うでしょう。
物語の演出としては、
変化が例えば写真の中から消えかかったりと徐々に存在が消えるように見せたり。


多元的な宇宙は、
実を言うとこうした宇宙が沢山あると考える方法。
やはり立体世界を平面世界に置き換えてみると、
一枚の神が何枚も何重にも重なっている感じで、
いろんなことが起こりうる可能性の数だけ
無数に世界が存在するという考え方。
この世界ではタイムパラドックスは起こりえない。
何故なら改変された歴史は元居た歴史とは
別の世界となり別々の道を歩く。
両方存在して良い世界だかららしい。

時間旅行考察

さて、ここまで来るともうアイディア競争と言った
様相を呈してくる。

私のアイディアを披露する前にいくつか細かいところに
めをむけてみるのも面白いかもしれないなぁ。


何が良いだろう。
そうね、タイムパラドックス何て言うのはどうだろう?
御存知かとは思うが自分なりの知識を出すと、
物騒な話だけど、
両親が婚約する頃合いの過去に行けたとしよう。
この場合お見合い結婚だろうと、できちゃった婚だろうと
構わない。どうせもろとも殺してしまうんだからさ。
この場合どうなってしまうのだろう?
親が死んでは子である自分は生まれなかったこととなる。
親を殺した瞬間、殺した自分もぱっと消えちゃうんだろうか?
いやいや世界はそういう矛盾を許さないので、
そもそも殺すことができない。
こういったタイムスリップにまつわる矛盾から生じる
不思議をとっくるめて、タイムパラドックスと
言って、あれこれ考えることが大好きな人に
格好の題材として、そんざいしてるのだ。

こういうことを言うと意外だと言われるのがわかりきっているので
あまり言わないけれど、私はあまりそういう考え事ゲームは
好みでないので考えない。

ただあえて自分なりの意見を述べなよとなったら、そうね。
私はこういったタイムパラドックスは起こらないと思ってる。
勿論、今流行りの多次元宇宙論的に言ってもそれは明らかなので、
今や珍しくも何ともないだろうけど、
それでも、なんで?と突っ込まれれば、こう答える。
なぜならば、世界と言うか、歴然とした時間軸そのものが、
幻想にすぎないからです。

時間旅行考察

それは基本的にこの理屈でいくと、
トンネルを設置した時点より過去には
戻れないと言うことだ。

一見ロマンがないように思えるが、
良いこともある。
ひとつは、今現在、私達の歴史に未来人が
やって来ていないことが、
未来においてタイムマシンが作れない証明である
と言う理屈に明確なる反証として話せること。
未来法律で禁止とかメンインブラックの宇宙人よろしく、
ばれないようにしてるだけ、と言った言い訳よりは
幾分スマートな理由だと思うね。

もうひとつは時空パトロールの仕事が幾分やり易かろう、
と言うことかな。
時空間移動技術を持たない人類に対するケアーを
考えなくてすむんだからね。

中々面白いお話だとこうして考えながら慣れないフリック
してておもうけど、多分こうした話は既に創られてるんだろうなぁ。
最も私はそういう話を幸いにして見たことがないので、
影響を気にせず考えられそうだけれども。


時間旅行考察

自分が変わらないでいるには、
周囲に変わってもらうより他はなく、

最も多用されているのが、次元トンネル、
時空間上にぽっかりとあいた穴でしょう。

もっともらしい説明として、私達のすむ世界を
立体ではなく、平らな紙とみて、
左端が今、右端を未来とすると、
普段は紙の上を律儀に左から右に移動してるとする。
この紙を半分にぱたりと折り畳む。
すると左端と右端が重なる。
一瞬で未来に行けると言う寸法。

折り曲げるのは超パワーにたより、紙から紙に飛びうつるのに、
穴を開けるって話。


これを若干実現可能っぽく説明できるものの一つに、
ワームホールを利用したものがあるようだ。

やりたいことはいたって簡単で、
ゲームで言う、セーブポイントをつくるのだ。
時間がずれることを利用して、
トンネルの入り口と出口に時間差をつける。
出口の時間がほとんど進まないようにすると、
例えば2222年に時間トンネルを設置して、
100年後にそのトンネルをくぐると、
2222年に帰ってこれるというもの。

これはひとつ面白いことを示す。

時間旅行考察

世の中の賢い人たちも多分困ったはずだ。
いや、私がこれまで語ってきたことは賢い人はすぐ
想像のついたことだろうね。

だから困る前に、次へ次へと考えるのかもしれないな。

となると、人は得体の知れない時空へと、
その望みを託すでしょう。
それでも時空なら…
時空ならきっとなんとかしてくれる…

時間旅行考察

つまるところ、科学でわかった時間のずれは
所詮ずれにすぎず、
とても旅行とは言いがたいものであるのだ。
皆から見て過去にやってこれていても、
自分から見たら、今にいながら
超スピードで年取っただけだ。

大体、過去に旅行したいなんて言うのは、
興味本意を除けば、欲なんだから、
今の能力、知識、経験を利用して、
過去で無双したいというもんだろう。

だとすれば経験無しの加齢はもとより、
肉体的加齢すらも論外となる。

困った。

時間旅行考察

それでは、実際に考えうる時間旅行とやらに
考えを進めることとしよう。

まずは未来に進む方法から。
浦島太郎は1日ほどの時間を移動する間に、
太郎以外の世界は百年経ってしまっている。
太郎は百年後の未来にやってきたと言える。

現実世界でも、ものすごく速く動けば、
周囲より時計が遅れていく、
世界では百年経ったのに、
高速移動の時計は遅れに遅れてまだ1日を刻んだばかり。
まさに浦島。

充分に速い宇宙船に乗って、20年に及ぶ銀河旅行を楽しんで
懐かしの故郷地球に帰ってみると、
そこは猿の惑星だった、みたいな話になっちゃうわけだ。

では、逆、すなわち多くの人にとってより魅力的な
過去にいくにはどうしたらいいんだろう?

速く動けば未来に行けるなら、
遅く動けば過去にいけんじゃね?
なるほどそのとおり。
仮にある視点から見たら、私たちはものすごい速さで
動いてるとしよう。
近いところで言うなら私たちは秒速何キロではきかない
超特急、地球に乗って日々過ごしてる。
こんな具合で、気づかないだけで高速に動いてるとしよう。
細かいことは考えず、地球上にいながら、
その高速のなんかにたいして、ゆっくりになれたとしよう。

どうなるのか。

結果は簡単、逆浦島となる。
自分以外みんな未来にやってくる。
未来って?
今にとって、十年後は?
未来。
十年前は?
過去。
簡単のために皆が五分の時を生きる間に
ひとり50年生きたとしよう。
皆にとって50年後の未来から
老人がやって来たように見える。


時間旅行考察

では科学的に考えられる時間旅行とは
一体どんなもの?

浦島さんは竜宮城で楽しい時間、
どれくらいいたんでしょうかね?
私は民謡に明るくないのでわかりませんが、
長くとも数日歓待を受けた程度でしょう。
そのわずかな時間を経て地上に戻ってみると、
地上では数百年経ってしまっていた、
と言うお話。

現代科学によると、各々が持っている時間、
ここては観念的なものだけど、
実際の腕時計でも話は変わらない。
この時計は、早く動いている間、
止まっている時計と比べて
遅れると言うのだ。

…どゆこと?
なんでも、この世界ではどこまでも早く動けるのだと
思ってたら、上限があるじゃん!
ってことがわかったのだ。
わかった件は、有名な髭の人、
アインシュタインのお話なので知る人も多かろう。

とにかくどう調べても、この世には最高速度規制が
かかってるくさい。
ちなみにその最高速度が光速ということだが、
なんせ、上限なしに自由に考えてきたのに、
規制をかけられたおかげで、
色々考え直し。
そのあおりをくった一つに時間さんがいたというわけ。

フリーダムだと思ってたから、固定の時間でいれたんに、
光速を固定したら、変わりに時間が動かして、
釣り合いをとらざるを得なくなった。

そう、世の中知らないところでそうやって帳尻会わせ
されてたらしいのだ。
まー普通知るよしもないわな、
だって私たち、早く動いても、
ちょっと元気な運転で、
高速道路で時速100~120㎞ってとこだから、
大体一秒辺り30メートルってとこだから、
光はその間、300000000m進むので、
私たちは普段、速くても0.00000001%の割合でしか
動いてないため、
そんな速い世界のことなど知らなくて当然だったのだ。

時間旅行考察

さて、私達はどのようにして世界を認識しているんだろう。

周囲の振動波を感知する耳。
物質の反発力を判別するセンサー、触感。
周囲の特定の物質を選別する鼻。
我々人類がもっとも発達させたのは、
周囲に満ちている電磁波を利用して
周囲を把握する目である。
なんのことはない、ものを見るのは特別のように
思えるけれど、超音波ソナーを備えている
コウモリや海洋調査船とおなじで、
波の反射具合で辺りを探っているのだ。

時間について考える上で、私が今重要視してるのは、
ものを認識することとは?と
やはりなんといってもどこかで、
絶対的な時間軸を前提にしてしまっているのでは
と言う辺りであります。

時間旅行考察

時間旅行について。

無学な私がざっと知ってることを並べると、
百年近く前に、絶対的な時間の概念が
相対的なものと改められた。

絶対的、相対的って?
物差しを想像して、伸び縮みしないものが
絶対的、するものが相対的って感じ。
どちらも言葉で書けば30㎝の物差しだけど、
かたやどんなに世界が歪もうともまっすぐ、
かたや世界に合わせて歪む物差しというわけだ。

これにより、みんな同じ人生50年という尺を
持っていても、場合によっては片方の人が50年目を
はかり終えたとき、もう片方の人はまだ30年と言うことが、
起こりうるとわかったのだ。
浦島太郎が現実にありうると言う、
お伽ゾーンに科学が足を踏み入れ始めたわけ。
SFにはかかせない科学考察、
その科学においてそういった変革が成されたわけであります。

ふるやの心理学

心理なんたらの資格を友人が取ると聞いて少し思いをはせる。
やつめはこのブログなど見ないので安心して書けるというものだ。

more...

まめな人はすごい。
絶えず動く。
多分寝てるときだって動いてるねあれは。
きっと消費カロリーもすごいから、
ナチュラルダイエッターだ。
ナチュラルというなら、貧乏ゆすりなんかも
あれはカロリー消費してるんだろうねぇ。

more...

大人になって気づいたことが一つある。

それは宗教についてのことだ。


more...

10代のころの、その当時の感覚を借りるならば、
そう、無限大とも思える気力、記憶、なんてモノは
仮初のモノに過ぎず、
そのおかげで、経験から来る無限の広がりも
広がるそばから薄れてしまう、その虚しさに対して、
人は加齢と呼んで嘆くのです。

自分の思考をネタでしゃべる以外に脳の外に漏らすというのは
これは私にとってとても格好の悪いことなので、
あまり出してきませんでしたが、
(割と漏れ出てた?だって人間だもの)
文章化することによって何か役立つかもと思う程度になってきたので、
ちょっとづつ書きだめていこうかなと思います。


最初はそうですね、”くじ引き”なんてのはどうでしょう。

世の中の出来事は割りとくじ引きに支配されています。
物理なんかを学んだ人ならば、当然だよといった顔をしたり、
確率論などを駆使して私に論戦を挑まれるかもしれません。
が、安心してください。戦うまでもなく、
そんな本気でかかって来られたら負けます。簡便してください。
世の中の確率のお話ではなくって、
どちらかというと私たちの認識のお話なのです。

あなたの目の前にクジを引いている人間がいるとしましょう。
ただし今は何でも電磁波の時代です。
その人は無線で頭の中でクジを引いています。

外れたとき、特に反応はしません。
悔しさを押し殺して平気な様ですまし顔です。
当たったときは、これ見よがしにジャンプして喜びます。

そういったクジをしている人を見てあなたはどう思うでしょうか。
クジを引いていない待機状態、クジを引いている最中、当たった時、
そして外れた時。
この四つの状態の中で、三つはただ突っ立っているだけにしか見えません。
唯一当たったにだけ動きが見えるわけです。

その人間を見てどう見えるかといえば、
当たりを引いてジャンプしてるとこしか見えないわけですから、
お、当たってるなぁと見えるわけです。

これは何のお話だったかと言いますと、人の認識のお話だったわけです。
記憶というのは面白いもので、印象の薄いものと濃いもの
どちらが鮮明に残るかと言うのは問うまでもない話で、
このくじ引きのようなお話が割と私たちの日常に作用しているのです。

例えば人生のある間を区切って、悪いことばかりだなぁと思うとき、
実際起こった出来事を表にでも書き出してみると、
意外とプラマイゼロであっても、
「ついてね~!」補正で悪いことだけが重点的に記憶されて、
良いことは忘却されてしまうと、
なんて悪いことばかりが起きているんだろうとなってしまうわけです。

事象だけでなく人の評価もまた同じで、
私たちは頭の中でこういう人だ~と言うのがあると、
どうしてもそういう視点で見てしまい勝ちです。
一番身近な例を挙げるなら血液型占いだと思ってますが、
個人的見解なので今まで人に言ったことはありません。

我々はそういう風に物事を捉えがちなんだな~って
普段から私は思っているというわけです。
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