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レンジャー

3355
小1くらいの子だと、描いた絵は何か恐縮なくらい
大事に持っててくれたりするのだけれど、
4才くらいだとこう、ついつい誘惑に負けるみたいで、
グシャグシャと塗りつぶし作戦をしてくれちゃったりもして、
言うほどちゃんと描いてあげる必要もないのかもしれないけど、
いやはや。

レンジャー物と言えば、数人、3人だか5人だかが
定番だと思ってますけど、何だか最近のはそういった鎖がなくって、
沢山いるみたいです、正義の味方。
これは中々大変な事だと思う。

そんなわけで、哀れにも塗りつぶされる運命にあるレンジャーたちを
これまた哀れにも5人ほどだろうと高をくくって描きだしてしまう私。


さぁ絵を描いて遊びましょう。

足す引く掛ける割る

3350
創作は引き算。
分析は割り算。
手法は掛け算。

掛け算って難しいね。

チャット

3320

絵を見てもらうという観点においては、
あまりLINEにその利便性を感じてませんでしたが、
考えてみると、LINEでも普通に写真やら見せられるのだから、
絵だって見せられるわけでした。
うーん、全く考えたことなかったなぁ…w
どうしても文が勝ってしまうのでしょうか?
反省しました、通信量とかは意図的に忘れて、
ちゃんと図示するように努めましょう。

変遷

3317
ちょうど最近の動向を見るに良い具合のサンプルがあったので、
ちょっと描いてみた。
こういう絵を描く度思うけど、技術が足りないんだなぁって事。
正面図と言うか、身長図とかデッサン案みたいな
ツールとしての絵ってモロ技術が出ちゃう感じで、
そいつに普段気分だけで描いてる私はモロ曝されて
影が浮き彫りになってしまう感じ。

絵柄予報としましては、おそらく
もうちょっと頭身上がってくると予測してます。
男キャラをもう少し頭身高く描きたいと
願っているからです。

あきるあきない

3306
雪国に何年か、
瀬戸内の海辺にこれまた何年か過ごした経験があるけど、
不思議と雪にも海にも飽きることがなかった。
生まれ育った人にそういうと、
余りポジティブな意見が帰ってくることは無い。
私の生まれ育った風景は田園と遠景の山地と言うものだが、
これまた不思議で原風景として魅力があるままで、
いつ見ても良いなと感じる。
個人の感想なのでしょう。

良いなと言う日常の風景では、冬の夜は格別だ。
雪国の音楽室の穴ぼこ壁を連想させる雪の夜も、
温暖気候のシンとした冷たい夜もどちらも素晴らしいと思ってる。
ド定番なんだろうけど、やっぱり冬の夜のオリオンは素晴らしい。
特にお気に入りは星雲。
昼の温度がそのまま宇宙空間に抜けていくのが
実感できるくらい透き通った夜空を見上げると、
デーンという存在感のオリオン。

ああ、冬っていいなぁ。
…寒いけど。

血液型論

3297
天気のステップアップ的な使われ方をされたりする、
血液型くん。
信じられ度で言うと、やっぱりどこか
占いレベル以上に信じられてたりする気がする感じ。

定番の切り出しと言えば、
「私○○型だけどあなたは?」
と言った自己紹介的な感じよりも、
「○○型でしょ?」
なんて方が多かったりする気がします。

ちなみに個人的な話をするならば、
私はあんまり当てられる方でもなければ、
統一感がある感じでもない感じで、
皆案外適当なんだなぁ~、なんてぼんやり思ってましたが、
それだと芸が無いので
例によってこのブログ的にもうちょっと考えてみましょう。

まずは言われ方。
大体において、私の場合は『仲間外れ』的なニュアンスが
セットであるような気がどうもします。
これは言葉が悪くて伝わらないので具体的に言うと、
「○○型じゃないわ~(○○には発言者が属すると思われる血液型)」
という、まぁややもすると酷い言葉を投げつけられるわけです。

多分これは「君変わってるね」の変形何だと思います。
君変わってるの物差しの多くは”自分”で
自分と異なる貴方となっての変わってるねって流れがあるでしょう。
多分その一環なのです。

O型からは「絶対O型ちゃうわ~一緒はいやや」
B型からは「ふるやはダイタイ型や(貴方とは違うんです的)」
A型からは「絶対Bや…いやABか…」
大体こんな感じ。
ある程度血液型占いには共通項があるようですので、
おそらくそれに沿った発言であるのか、
不思議と似たような発言(ディス)がなされます。

次にケース。
A型?って言われたのは今までで2回(少ない?)。
買い物袋を小さな三角形に折りたたんでいた時と、
ごはんを綺麗に食べたのを見られた時でした。
几帳面だね?っていうニュアンスでしょうか?
ちなみに、買い物袋も食べ方も、
それぞれ別のB型の人から、そのやり様を取り込んだので、
この理屈を私の周辺環境に当てはめるなら、
こういう事(几帳面的?)をやるのはB型という事になるでしょう。

O型はまぁなんでしょう、封筒をビリビリやぶったりとか、
名前の枠はみ出して描いてるのを見つかったりとか、
ダンボールのガムテープを張るのが
適当なのを見咎められた時だった気がします。
適当だね、雑だね?ってニュアンスでしょうか?
これは、生まれ持ったものが残ってるだけなので何とも言えませんし、
この論で行くなら私はO型なのでしょう。

B型はなんだろう、特定のシーンで言われることは無い気がします。
普段の行動やらなんやらで言われます(よく言われる…)。
これに関してはニュアンスも特定しかねる気がします。

AB型はわからないやつだな?ってニュアンスの時な気がします。

何度か言ってたりするのですが、
私は自分が変わってるとはみじんも思っていないので、
その自己評価と他人から見た自分とのギャップがあっては
気の毒という観点から、変わってるねと言われるときは、
大体そんなことないと伝えるようにしています。
ただし言われるという事象そのものに関しては
特に何も思ってません。
よく言われる気がしますが、これも『左利き』と同じです。
右利きの人に「右利きなんだね~」なんて言わないのと同じで、
変わってるときにだけ「変わってるね~」と言葉として発せられるから、
「普通だね?」って言われるより「変わってるね?」と言われる方が
多くて然りなのであります。

まぁ、この論は上記の血液型論の流れとちょっと食い違う気がしますけど…

3290
だめだー埋まらない。
背中がフワフワするくらいの眠気。。
タイムアップ。

ガラガラ

3287

くどくて濃いのを好む自分と
あっさりしたのを好む自分とのせめぎあいが
ブレブレな絵を生むわけですが、
今はあんまり良いボーダーラインじゃなさそうなので、
ちょっと矯正(介入)が必要そうですねぇ。。

フクフクブクロ

3282

福袋は買うタイプでしょうか?
私はあまり買う方ではありません。
どちらかと言えば欲しいものが決まっているので、
それ以外の物が欲しいとはあまり思えないからです。

服の福袋の宣伝攻めが続いております。
余程のオシャレさんか特定のブランド贔屓の人なら
新しい組み合わせが楽しかったりするのでしょうか?

絵の練習で一つよかったことは、
ファッションに悩まなくなったことです。
どちらかと言えばあまり服装にこだわる方でもないし、
流行を追う方でも無いので、以前は逆に難しかったりしたのです。
全くの無頓着とまでは行きませんので、
最低限として、みっともない姿をさらすわけにはいかぬからです。

絵を勉強を通してある程度ビジョンが定まるようになってしまえば、
特定の恰好を狙えば済むようになりましたので、
生きていくうえでの悩みが一つ解決された、というわけなのです。

ラッキーですね。

分厚いヤツ

3280

ついに真冬用のとっておきのインナーを
装備してしまいました。

観察眼

3279 

観察眼が鋭い人はすごい。
絵を描くうえでもあると良い資質の一つだと思う。
手先の器用さと同じくらい。

絵に関して、どうやら”線の癖”ってヤツがあるみたいで、
見る人が見ると色々汲み取れるようだ。
私などもそういった経験がありまして、
こう話しの流れで
絵のラインから私の利き腕への言及をポロっとされて、
これまた話の流れでワハハと流しながら、
アレ?言ったことあったっけ?なベタな作り話みたいな
やり取りをしたことがあったりなかったり…

観察眼が鋭かったり推理力がある人が
小さな情報から色々察せられる、
って所は別にどうという事は無いでしょう。
そう、問題は発信者のあずかり知らぬ所や、
意図している以上の情報が相手にわたるという、
いわばイニシアチブの逆転現象みたいなヤツです。
これはちょっと怖いなぁと、別に絵に限らず思ってたりもします。

ちなみに私の観察力はあまり高いとは言えないでしょう。
パワー云々の前にとにかくあんまり”観ない”傾向にあるようです。
人の顔は見ない。何か物事だって、しげしげ観察しない(はず)。
歩いてて目の前から知り合いが歩いてきても気づかない。
人の顔やシルエットを覚えるのが苦手じゃあない方だと思うのですが、
つまりはやはり見てないってことなんでしょう。
おまけに映像記憶とかできらんし、その他記憶力も優れていない。
だから、例えば今回の絵のカエルとかだって
カエルで印象のあるのは目と背中からお尻にかけてのラインと
太ももとふくらはぎのラインくらいな物で、
後はよくわかりません。両生類だから前足の脇は
開いてるんかなーとかそんなボンヤリしたイメージしかありません。

こうした自分の弱点を知ってたり、
写実が好きだったりその効果を知ってても、
そうした足りない資質を補うどころかむしろ開き直って、
よりボンヤリコースを歩み続けてる、ってのが現状だったりするのです。

何でも見らんとビシーと描ける人はすごいもんですね。

ムズイ

3274

これは自分がそうじゃないので想像でしかないけど、
多分絵に関しては”理想形”みたいな雛形みたいなのが
あるんじゃないかなって思ってます。

それは勿論、普遍的な絵柄って意味じゃなくって、
絵柄毎、個人ごとの理想の造詣。
○○さんの描く美人キャラならこんな感じみたいな。

当然私も自分の枠から出る絵は描けないので、
自分なりの絵柄の範疇でキャラは描いてるわけです。

しかし理想形が描けない。
こう、一応キャラなりに顔立ちやらを考えて描くしかできない。
しかも別に画力が高いわけでもないので、
微少な描き分けなど望むべくもないので、
ざっくりしたパーツ分けでしか描いていない。
(※ただし描き分けに関しては、必ずしも描く側だけでなく、
見る側の問題もありますので必要不必要の話はここではしない)

昔から一応”良い感じ”に描こうとは思ってきたし、
特に最近などは漫画絵である以上という意識をより働かせてるけど、
中々どうして。
感覚的にはまさに、近づけるべき理想形がないので~
と言った感じであります。

女キャラもそうっちゃぁそうなんだけど、
特に、男キャラで未だに感じてます。

他の人の絵を見てカッコイイって思うってことは、
そういった判断基準が自分の中にあるわけで、
そうである以上自分の絵もその判断基準でもって、
かっこいいなぁかわいいなぁと出来るはずです。
最もこれはあまり良い事を示唆してくれそうにありませんけどね…w


話づくりの方に関しては、
構成はボチボチ進んでます。
あ、名前表なるものを作りました。
あんまり名前にコダワリが無いので
今までそういったものを作ってなかったのですが、
はたと困る瞬間がない事も無いので、
あらかじめストックをすることにして、
五十音順で各4つずつ以上程度取り合えずざっと作りました。
思いつき次第足していけば当面困ることはありますまい。
キャラにしっくりくるのが無かったら都度考えれば良いしね。
それに名前について取り組み(思いつくさま列挙しただけですが)
をやってみると、これが中々どうして名前に対する感覚が
ちょっと変わってきました。
やっぱ名前って大事だよねーって思う。
言霊的な意味合いで。
物の名詞って何かやっぱりあると無いとでは
イメージの固まり具合が違いますね。
大事だ、名前。
意味のある無しが大事かはわからないけど、
呼び名の有無は超重要。
話の題材になり得るのも超わかる。

こたつ

3272

ウチの地方では、布団の足の付近に突っ込む暖房器具を
『こたつ』と言います。
湯たんぽの親戚みたいなやつです。
『アンカ』というと通じるのかもしれません。
じゃあ世間一般的な、
足を突っ込んだり上にミカンを置いたりする
いわゆる『こたつ』というのは何と言うかというと、
やっぱりあれも『こたつ』だったりします。

足を突っ込むのは何でもこたつか関西人め、
などと蔑みの言葉が浮かぶ貴方は、それと同時に
「まてよ?どっちも布団があって足をあっためるな…」
なんて気づいてしまうかもしれません。
実を言うと、一般的な田舎かは知りませんが、
少なくともうちの地方では私が幼少のころ合いまでは、
『豆炭』と言った炭のお団子みたいなやつに熱を持たせて、
それを囲いに居れて暖を取る方式でした。
湯たんぽのお湯が炭になってる感じですね。
地方によっては石をあっためたりもあるのでしょうか?
石だとさすがにすぐ冷めちゃうのかな?

何にせよどっちも同じ方式であっためてたので、
言うほど別物とは思えなく無いですか?
ちなみに私は同じ音だけど
両者を同じものだって思ったことはありません。

話したことある話な気はしますが、
寒さに負けてソレを導入したというお話として。

ゆうぐれひぐれ

3259
ゆうぐれ ひぐれ おひさま しんだ
ひぐれ ゆうやみ とまった じかん

…とまぁ詩才もないのに歌いだしちゃう程度には
夕方が好きです。
夕方であれば別にオレンジじゃなくっても良いので、
日暮れという方が語弊を生じぬかもしれません。

日暮れの何が良いんだろう?寂寥感?レアリティ?
う~ん、確かに私の中に諦観や寂寥がないとは言わない。
でもそういう物悲しさじゃあない気がする。
もっとずっとポジティブな感覚だ。

う~ん?何か違う気がする。
あそうか、内面の旅とかじゃなくって
もうちょっと具体的なのをやるんだっけ(※前回記事)。

う~ん、何にしようかな。
内面の話を始めちゃったからそっち系から攻めてみると、
私は多分に気分屋の嫌いがあります。
物事をすぐに投げ出したり、
ミーハーな気質が多い方ではどうやらなさそうですが、
いずれにせよ、激情が続くタイプでなさそうというのは、
絵を始める前からすでに自覚をしていました。
であるならば、初期に立てる作戦として、
「モチベーションに依存しないようにする」というのは
言うほどに悪い作戦ではないでしょう。
やる気とかゾーンというかモードというかなんて言うか知りませんが、
とにかく”良い感じ”の時に良い感じに物事が進むのは
これは当たり前の事だろうし、
山があるなら谷もまたあるのは理でしょう。
出来る理由は勿論ほしいけど、
出来ないワケなんてのはあってほしくない。

賢しらに若かりし学生の身分の私はそのような事を考えたわけです。
そんなわけで、こと絵を描くという事に関しては、
極力やる気という意味合いでの感情の振れ幅を用いることは
すまいとやってきたわけです。

結果どうだったか?

今が結果であるとは申しませんが、得たものはあります。
それはモチベーションに依存しない云々ですらなかったという事です。
『やるかやらないか』
実に精神論的な響きの言葉であんま好きくないですが、
この言葉が適当でしょう。
つまり、気が乗ろうと乗るまいと関係が無いのです。
何事も絶好調でやれるに越したことは無いわけですが、
そうした期待出来得る状況などとは全く別次元として、
描くというアウトプット行動のスイッチが存在するのです。
あるいは存在しなければならないようです。
ここに精神論がないとは申しませぬが、更に進めると、
人は言うほどに精神が独立、あるいは先行する存在ではないのです。
そのモードじゃなくっても、やってりゃ嫌が応にもなるようです。
走れば心拍数が上がる。
そんな反応と同じで、描きだせば ―程度は勿論あれども―
勝手にモードが立ち上がるようになっているようです。

何も創作活動に限ったことじゃないですが、
あんまり気乗りしないからと言って過度に残念に思う事は無いのです。
気が乗る乗らないは、別に何かをする上での
きっかけである必然性が無い存在なのですから。

好みと属性

3258

チビども四人をサンプルとして取り上げてみよう。
三人がヒッツキ虫タイプで
一人は1cmくらいは距離が欲しいタイプ。
こうした属性はどうやら生まれ持ったものであるようで、
かつ同じく生まれ持つ人見知り属性とはまた別種のようだ。
人見知り+距離感が欲しいタイプもいれば、
人見知りだけどヒッツキ虫タイプもいる。

さて四人のチビ達がどのような属性かというと、
人見知り+ヒッツキ虫
人見知り+距離感
人懐っこい+ヒッツキ虫×2
という分布だ。

おっといけない、サンプル情報より
それに対する自分の反応を分析するんだった。
私自身が人見知りをしないタイプ+ヒッツキ虫属性なので、
どちらかと言うと同種の方が好みだったりするのだけど、
どうも私の場合はお節介虫の血を引き継いでいるせいか、
人見知り距離感にアクションをかける行動を好んでしまうようだ。

時々自分をサンプルに分析をやってみてるのは、
インターネットのシェアの精神もあるけど、
勿論自分自身の為でもある。
人間観察も自己分析もあんまりやらないので、
機会を設けてキャラクター設計の助けになればと考えてるのだ。


間接的過ぎて役立たないかもしれないから、
次の記事はもう少し直接的なシェア情報にしようかしらん?

革ブーツ

3257

全く個人的な話をいたしますと、
私は革靴が好き。
革靴も色々ウンチクがあるみたいで、
何か三足をローテで履かなきゃ駄目だ。
休息がいるでしょう?
なんてことを言われたりもするけど、
毎日履けてこその靴だって気もするので、
ありがたい忠告はカチ無視して好きな靴を履くのです。

木枯らし

3242

割かし色々はかどった一日でしたねぇ。

よしよしよし。。

ほなら

3221

じゃあ蜘蛛は昆虫じゃないから怖くないんだね?

って言われると、割と蜘蛛族は飛蝗族と比べて全然平気、
って言いきりたいけど、考えてみるに、純粋に大きさな気もしますよね。
やっぱり基本的にでかいほど怖いじゃあないですか?
蚊とかビシャって叩いちゃうけどアレより大きいのは叩けません。

あの工事の黒黄みたいなカラーリングの蜘蛛も家の中に居たら
勿論最悪だろうけど、少なくとも外で見る分には卒倒するほどじゃあない。
すわ、クモは昆虫(主としてバッタ)よかマシだねと言い切れる?
う~ん、
あやつでも、ショウリョウバッタとかより小さいもんね。

でもやっぱりクモは虫よりは何かマシな気がするけどなぁ。

あそうそう、生息域をよく知らないのだけれど、人生で一度だけ、
実家(兵庫県)の外壁でアシダカグモを見かけたことがあるんです。

あれはヤバかった。
もうね、手のひらサイズなんですよ。
でね、超早いんです、動き。
さらに何かカラーリングもエイリアンみたいな色なんですよグレーなんですよ。
びっくりして母親に聞いてみたら知らぬ存ぜぬだったそうで、
あんまり数が居ないのか、借りぐらししてるのか。

うーんこうして思いかえして、脳内嫌悪感比べしてみても、
どうやらサイズの補正よりも種族の補正の方が大きそう。

やっぱりクモの方がバッタよかマシだぁ。

トマジュー

3205
トマトジュースを割と飲んでる。
ハッキリ言って美味しくない。
ただしこれは、私が元々トマトが好きじゃないから
アンフェアな意見。

人の意見には割と感化される方だ。
トマトジュースも人の影響で飲んでる感じ。
美味しいし体に良いし最高とか言ってたから、
さらばと私も飲んだりしだしたわけ。
今にして思えば、ショウガやら漢方やら
そういったのが美味しいという変な味覚、
いえ、これもまた穿った意見、
私とはちょっと違った味覚の持ち主の意見だったので、
そもそもそこから疑うべきなのかもしれない。

記憶力

3199
私個人の記憶力はどんなに贔屓目を入れても、
十人並みと断じざるを得ない上に、
時系列の記憶が割と壊滅的でありまして、
そんなモロモロの事から、基本的には
覚えることは大体他人任せだったりするわけです。

時系列が壊滅とは、いついつ~ってのが無いってのです。
言ってしまえば、昨日の記憶と一週間前の記憶の差がない。
じゃあ全部ぴたっと覚えてるんじゃないの?とならないのは
先ほど申し上げた通りで、普通に忘れていくわけで、
その劣化度合いから古いか新しいか判断がつく感じ。

勿論言わせてもらえば本当にみんな何時いつ何があったとか
逐一引っ張り出せるものかね?
五年前と七年前の記憶なんてごっちゃになってたり
普通でしょ、なんて思わないでもないですが、
その程度が甚だしいっぽいので、言わせてもらわないことにしております。

最も、会話の中であてずっぽうして外れるデメリット以外では
日常生活で不便はありません。
むしろ本を並行して読んでも問題が無いので、
場所ごとに設置した本を読むのには好都合だったりもします。
(例:トイレ置き、職場置き)


前回述べた通り、何でも割と打算があったりするものですが、
自分語りも実はその側面があったりで、
やっぱり己を知らないと自己表現はなりませんでな。
機会を設けないと自分について考えるなんてありませんでな。

経済

3198

経済について考えてみます。
余り興味があるジャンルとは言えないしね。
経済と聞いてボンヤリ頭に浮かぶと言えば、

何で経済学って文系なんだろうなぁ
お金の流れ的なことかしらん
毎年政府の借金が増えてて国民一人当たりで何百万クラス!

挙げていくとその最中に思いつくさまになっちゃうので
取り合えずこの辺をぱっと浮かんだとしよう。

お金の流れ的な事ってのは多分直感として大外れしてない気がする。
とするとこれもこのブログでの考え事の流れと同様に考えると、
源流はモノのやりとり、役割分担的な所に行き着くお話だ。
こう考えると、経済学が文系と言うのも必ずしも変ではないとなる。
一見確かにどう考えても数学で支配されてる数字の世界っぽいけど、
大本が人間同士のやり取りである以上、
そこには必ず感情や感覚的な物が内包されうるわけで、
そしてそうした個の集合体である以上、
最低でも統計学が要るわけでしょうから、
「数学ダメだから文系!でも就職考えて経済学部」
なんて人が居るかいないかは周囲に居なかったので知らないけど、
そうした人はきっと思わぬ勉強を強いられる、なんてこともありうるわけだ。
(統計と言えば心理学なんかも習ったことないけど絶対統計まみれだろうから、
きっと大変なんじゃないかしらん)

このまま経済の素人感抽象ヴィジョンで考えを進めるのも
悪くない気がするけど、せっかくだからぱっと思いついた二つが埋まったので
もう一個について考えよう。

毎年国家予算の半分は借金返済、国民一人当たりついにン百万!
みたいな文言くらいは幾ら世間知らずの私でも耳にするお話。
まぁこの言葉自体は特に何の不思議もない話に聞こえる。
そりゃあ借金は無いに越したことはない気がするし、
身の丈にあった予算じゃないと破産しちゃうなんてのもわかる話。
ところがこの系統の話でもう一つ聞こえてくるのが、
それは大したお話じゃないっていう反対意見。

『全ての言葉には意味、意図がある』

これは話を聞いたり考えたりするうえでの大原則だと私は思ってる。
例えばその意図が嘘だったり自分に有利になるような操作だったりしても、
それも意図であるのだ。
その大前提があると、借金まみれで大変なのに借金が問題じゃないなんて、
何たる与太話!と切り捨てる前に、何のことを言ってるのだと
次の思考のとっかかりとなる。
意図があるとするなら、

単に反対を言いたいだけ
経済は感情の側面があるからマイナスの空気感を祓うためのハッタリ
ちゃんと別側面の考え方がある

またぱっと三つ思い浮かべてみます。
そしておそらくしゃべってる人が学者先生であるならば、
その賢い頭を考慮すると、何かしらの学術的側面があるはず。

うーん、まず一つぱっと思いつくのはチキンレースであるのではという事。
世界規模で見てみると、経済規模は人口と比例関係にあるんじゃないかと考えて、
人口の増加曲線は発展途上国が経済大国になる昨今の流れを踏むとすると、
いずれ停滞を迎えるだろう。
つまり、いずれは産めよ増やせよから身の丈に合った生活をしましょう
となるのもまた多分摂理なんじゃないかなと考えらえる。
しかしそれは今じゃない、と言うお話なんじゃないかと思うというのが
考えの辿り着く先。

別にいつ”イチ抜けた”しても良いけど、今じゃないんじゃね?ってのが
根幹なんじゃあないかしらん。
これは経済の永続的発展主義と言うか至上主義的な物に対する方向で、
例えば国の借金自体が大した問題じゃないって理屈があるなら、
多分そこにも何かあるはず。

聞いたのは国内の国債だからOKと言う話。
聞こえてくる意見は自転車操業という感想。
多分国の永続性の前提条件があるのは違いないけど、
それ以外に理由があるようにこう考えると思えてくる。
けど、思えてくるまま書くとまた同じだけ行数がかかるので、
似たような感じで自分なりの説明がつきそうって感じで。

資本主義とか貧富の差は多分考えても面白くないんじゃないかな?
資本主義ってのは言葉の通り捉えると、
元手を元にプラスアルファを生み稼ぎを出して豊かになっていきましょう、
こういう考えのはず。
元手から何かを生み出す以上、当然構造的に密度にばらつきが生まれます。
元手が増えれば増えるほど経済規模が増えて、お金も物も人も集まるわけだから。
だから一極集中とか貧富の差の拡大もあまり難しい話じゃない気がする。
やっぱり面白くないお話だった。
いや視野狭窄かな?経験則だと案外そういう感じ。まぁいいか。


興味が無いから考えるってのは本心だけど、
打算が0と言うわけでもないのです。
例えば物語を新たな世界観から作る場合には、
やっぱり現実世界を支配する法則をもとに作るのが
手っ取り早く、また説得力も生まれるはずだからです。
だから理想は広く深くだろうけど、
最低限遠浅の海のごとく網羅の必要性があるってのが、
あれやこれや考える理由の一つなのであります。

共感

3193

正直なところ、考えたことをアウトプットするのって、
宿題で言うなら繰り返しで漢字ノートを埋めさせられるアレ、
あるいは言葉で言うなら二番煎じ、二重行政、
つまりはこういった『繰り返し』の作業な気がして、
モニョモニョするものがあったのです。

ところが最近、ふとした考察から
自分の中のビジョンが絵・映像とはまた違ったものだという
考えに行き着きまして、同じアウトプットでも
翻訳作業ならばこれは煩わしさと言う観点は残り得るのかもしれませんが、
少なくとも『ムダガアル』と言う勘違いからは解き放たれますので
ちょっと良い考え方に辿り着いちゃったなって思ってるのです。

そんなわけで、図に乗って適当な何かを考えたいと思います。
勿論絵や創作に関係しうる領域で。。

私は、特に集団における共感というモノに重きを置かないタイプだ。
皆でノリノリウェーイな雰囲気になっても
一緒にウェーイとならない、と言うタイプ。
そして皆とワイワイやりたいとかそういった行動も
自分からは積極的にとろうとしない、企画しないタイプ。
だからSNSで唯一やっているのはこのブログくらい。
こう言うと、さては共感力がないのかと早合点する
共感最重視派の人もいるかもしれないけれど、
食事に興味がないから他県に足を運んで食べ旅行とかやらないのと、
味がわからないのとがイコールじゃないのと同じことだ。
つまり音叉があって少数だと共振するけど、
それが集団心理となると途端に共振しなくなるという感じなのである。
つまりは他の属性と同じく、この属性もまた、
生命が持つ多様性の一つに過ぎないというわけだ。

そもそも共感って何なんだろう?
相手の気持ちをおもんばかる事、みたいな感じでしょう。
ところで私は今の話で相手の気持ちをおもんばかる共感と
集団心理としての共感を一緒くたにしています。
実際はどうか知らないし、
考えを進めていくうえで変わることはあるかもしれませんが、
少なくとも考えのとっかかり(今現在)においては
その二つは同種のものだと直感しているというわけです。
そしておそらくは、共感と言うのは脳が発達して初めて
生じた新たなる能力ではなくって、
もっと原始的な機能であるとも直感しているのです。
多分、お魚が集団で泳いだり、ヌーが集団で走ったり、
誰かが動いたら釣られて走ったり飛んだりする群れのアレだと思うのです。

一々言葉のスタートから考えるのって遠回り?
いえいえ、これが中々どうして、
モノマネが何で面白いのかっていうのも直感では言葉にできなくても、
こうして考えていくと自分なりの答えが出たりするものなんです。

さてさて、こうして共感そのものにスポットライトを当てても、
話はどんどん進んでいきそうだし、
個人的な共感、あるいは属性としての共感の話だって膨らむ種はありそう。
例えば属性のお話なら、

皆との共感が何より重要な人
―率先して群れを形成するタイプでしょうか。

共感せざるを得ない、あるいは共感しないという焦燥恐怖、
はたまたナチュラルに共感しちゃう人
―群れを構成する要因でしょう。

輪(和)を乱すつもりはないけど、共振じゃなく合わせてる人
―これもまた構成因子でしょう、
しかし群れから来る恩恵のその全てに与れない可能性の代わりに、
全滅を避けられる可能性を持つファクターでもあるでしょう(多様性)

一応属すけど、心底集団行動が嫌で仕方ない人
―上記の発展形ですが、我慢が大きい分、こぼれ出る水(トラブル)
もまた多めかもしれません。

そもそも共感が無い人
―これはもうそもそも根本的に思考回路が違う
超マイノリティータイプ。ただしここまでくると、
普通はマイノリティとはされず、イレギュラーとされる事がしばしばでしょう。

てな感じで場合分けをしてくだけで、イケナイあっという間に長文です。

3192

夕方に台風が最接近と聞いていて、
今日その頃合いになりますと、
それまで吹き荒れていた雨風はぴたりと止みました。
さては思ったよりも進行スピードが上がっていたなと
思っておりましたところ夜に差し掛かり
再び吹き荒れてまいりました。
どうやら久しぶりに台風の目に直撃したっぽい?

内臓

3188
持って生まれたもので一つ感謝しているのは、
頑丈な消化器官。
生き物は歩けなくなったらおしまい、
これは人間でも真実だとは思ってますが、
足が弱ろうとも、脳が衰えようとも、
人間内臓が元気だと割かし弱っても結構生きられるようす。
将来どうなるかは不確定としても、
今現在を生きる私にとっては、
胃腸系で悩まされることが無いというのは
ありがたい事だと思って日々生きてます。
リソースを割かないで済みますもんね。
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