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みんな大好き、顔の話。

1875

よほど敢えての二次元的でない限り、
愛らしい2頭身キャラであろうと、美麗な8頭身キャラであろうとも、
描かれているのは全て現実世界をキャラクタースクリーン、、、
キャラ変換フィルターのようなものに通して映し出されたものである。
だから元となっているのは当然私たち自身であるし、
それを2頭身に落とし込んだり、あるいは頭身があまり変わらなくても、
パーツの比率等を変化させて漫画絵としおり、
こうした比率操作のことを私は普段からデフォルメと呼んでいるのである。

このデフォルメの具合によって絵柄が決定されるのは言うまでも無いことだし、
現実世界を元にしている以上、現実世界の物のデッサンが重要だという
先達の意見は至極もっともなものである。

実を言うとある程度最初から考えて絵に臨んでいたので、
デッサンが大事と言うのは最初からそうと思っていたし、
ある程度時間経過した今もそれは変わってないし、
そして今でもやってない。あえてね。
なのであくまで独学の経験談を語っているものであるのだ、全部ぜんぶ。

何事にも代表的なものに○○の顔といった具合に例えるくらい、
みんな大好きかつ重要な”顔”。
普通大抵漫画絵を描きだす際に、目やら顔やらばっかり練習して、
顔しか描けない~な状態に陥る人は居ても、
手とかオヘソとか描きまくって顔がうまく描けない~とはならないようだ。
皆そうだっていうのは嫌いだけど、これは割と普遍的な感覚としても
そこまで大きなずれではありますまい。
そのくらい人は顔とか目に関心を持っているものなのであります。
…フェチズムがあれば別かもしれない。
大体において人間の原動力はスケベ心が大きな物であるのは言うまでもないので、
さてさてこうしたお話はここら辺にして実際の顔を描いてきての感想。

私がキャラの顔を描く上でひとつブレイクスルーになったのはやっぱり目。
言ってるとおり立体は最初から意識してたのだけれど、
描くとなるとどうにもうまくいかない。
それは何も知らずにあたかも卵の表面にテクスチャーのごとく目シールを
ただ適当な場所に貼り付けていたがためであったのです。
そこに気づいて練習して、ある程度ちゃんと目玉が顔の正面に来ればよし、
来てないものは魚の目(お魚の目は大体横についてる)として蔑み、
意識付けの方法としてメガネを考えることとしました。
メガネは顔の形状を認識する上で非常に有用なツールで、
レンズの横からほぼ九十度でズドンと耳に向かっていくのです。
顔の正面に目がついてて、大体同じ高さに耳の上部が存在する。

こうして立体の顔の中の目を意識していく上で、
次に訪れたのは顔の側面でした。
顔と言う物を意識する上では、球体や卵型であるよりは
思い切って正面ぺったんこ、横もぺったんこな面として捉える事が
実に絵を描く上での感覚として新しい世界を見せてくれる物となりました。
ついでに言うとメガネのツルがこの側面のラインのひとつに相当するわけで、
全くの後付と言うかそこから連想したので当たり前とも言うべきかもしれませんが。

こうした特性を持っているので、
習熟段階でうまくいかない場合は、そのキャラにメガネをかけてみると
解決の糸口となるかもしれませんね。

立体を意識すること。
必要であれば適当な物体に置き換えて想像すること。
自分の好みが何か知ること。
世の流れも一応追うこと。
こんな感じで大きい自分なり取り決めを決めた上で、
細かい、顔で言うならそれぞれのパーツの位置とか比率とかの
大体の具合を知り、ちゃんと感覚に沿って比率ただしく絵柄に落とし込めば、
キャラの顔はある程度、少なくとも私程度には描ける様になるでしょう。

私の周囲にも才能溢れる人がたくさん居るので、
持たざる物である私はそれゆえに伝導師的な側面を持たざるを得ないのであります。
だからといって持ってる人に負けるつもりもまたサラサラに無いのでありますが、
この業の深さはまさに私と言う人間を表すものでありましょう。

脳内映像、脳内フィルター

1873

頭の中に映像がくっきりでそれをなぞるだけみたいな
超才能《ギフト》が無くっても絵は描けます。
実際描画される絵と脳内映像はお互いがリンクし合っている関係で、
足りないイメージは絵が補ってくれるし、
実際に描画された絵によってイメージは喚起されるという、
とても良いスパイラルを持てる存在なのであります。

くっきり、ぼんやりに関わらず絵を描いてる最中は
そのイメージ映像を実際の絵に被せて描きます。
描いてるうちにいつしか絵とイメージの境界線が曖昧となり、
脳内にあたかもフィルターが張られた状態となってしまい、
慣れないうちは左右反転したら他人の絵、
傑作だと思って二日置いて見たら何だこれっていう風な
あたかも魔法から解けた状態がしばしば発生します。
これは誰にも起こりうることのようで、
さらに慣れればそういった脳内フィルターも除去されていきます。
なのでそこは安心して、むしろ視点が切り替わるうちはそれを頼りに
ガンガン自分の絵のミスを修正しまくってレベルアップを図れるかと思います。

経験則

1872

時々絵を描くコツなんて無いなどと言う言葉も聞きますが
どちらかといえば言葉のあやであると思ってます。
生まれつき上手い人なら別でしょうが普通大抵下手糞から上達していくものでして
上達するってコトはなんらかの上積みやらなんやらがあるわけです。

例えば絵をまだ始めたばかりな段階での経験則もそれこそ
十人十色に多数存在するかと思います。
私の経験談などを述べて見ますと、
まず気のせいは存在しないって言うことです。
描いてる最中ちょっとでもおかしいな?って思った箇所は
実際は違和感程度じゃなくはっきりとしたミスである場合が多く、
描いてる最中は脳内フィルターによって理想像と重なっておりますので、
中々見えづらいものなのでございます。
そのため慣れないうちはアナログなら紙を裏から透かして見て見たり、
壁に貼り付けて視力検査よろしく遠くから眺めて見たりと、
何とか視点を変えてリセットを試みてセルフチェックをします。
デジタルだと簡単に左右反転上下さかさま等できますのでもう少し容易です。
そして初期段階では左右反転した絵はまるで全く違う絵に見えたりもするものです。
慣れてくれば上下さかさまだろうと何の違和感も持たなくなるので、
これも鍛錬によって変わる部分なのでしょう。
ともかくも、そういった風に絵を描いてる最中は、自分の目は曇り勝ちとなりますので、
小さな違和感で出るレベルなどははっきり言って疑ってかかるべきだと言う事なのです。

その段階でもうひとつ起きがちなのが『MOTTAINAI』です。
例えば目から描いてたとして、とても具合よく右目が描けたとしましょう。
しかし左目鼻口輪郭と描いていくうちに、何か変な感じになってしまったとしましょう。
そのとき修正修正を重ねていくとして、普通大抵上手くいった右目は保護して
他で何とか調整しようとするものです。
うまく直ればもちろん問題はないのですが、意外とうまく描けた右目こそが
癌であったりするということが往々にして起こりうるのが初期の段階と言うもののようです。
理想は消しゴムアンドゥ等の修正を行わずに描きまくることでしょうが、
最初は中々そうもいかないものですし、
何よりある程度形に残ったほうがテンションだってあがるというものです。
なので最初のほうは修正しまくりながら頑張って描くのは良いことでもあり、
その際は、モッタイナイを捨て去るのが結局は一番であるというお話。
ちょっと消しては描きしてもむしろ状況は悪化することが多く、
(ちょっとずつさらにずれていって全体的なバランスが崩壊してしまうことがある)
気分が良いものではありませんが、
もったいない心や二度と同じものは描けないという恐怖心もポイしちゃって
ざっくり消しちゃって描き直すのが、違和感が出てしまった際の上策でありんす。

線画ちょっと失敗したかな、でも気のせいかも、色塗ったら意外といけるかも?
などと言った感覚は割と幻想でありまして、
描いてる最中に感じるくらいの違和感は他人から見たらはっきり見えてしまう事が多く、
またそうした違和感は苦手分野があるために生じることもままあるため、
気づけたらむしろラッキーで、妥協をしないほうが良いと思います。
締め切りが存在するわけではなく練習を行っているのですから、
上積みが出来るポイントを見逃す手は無いもんです。
そして、チマチマいじるのはその癖が後々まで残っては良いことがありませんので、
消すときは南無三とバッサリ丸ごと消してしまうのが
その場での結果も、創作物を行う上での
いじりまくる悪癖を持たないようにすることの観点からも
良いと思われるのです。
ちょっと変かな?は大分変で、
大丈夫大丈夫は大丈夫じゃなく、
何とかなったかな?は何とかなってない。
絵は人を騙せればそれで良いですけど
自分を騙しても全く意味が無いというもののようです。

導入

1871

昨今の絵柄の流行で導入してないと言えばあの美しい
髪の毛の表現法。
昔ながらの如何にも二次元って感じのボリュームが好きなので
導入に踏み切ってませんが、今風の薄い束感な髪の毛の表現はとても好きですね。

不治の病

1870

目いっぱい時間を使って遅刻しちゃうタイプ。

思い返してみれば

1869

前回は加齢じゃなくってやってなかった縦方向のデフォルメを描こうと思って
作った時間だった。
そんなわけで仕方なくもう一枚。
縦方向って言うのはこの場合目からアゴまでの長さとでも言うべきでしょうか。

世の絵柄の潮流のひとつである”小さな手”はいまだメインなんですかね。
小さいのは愛らしいってことなのかしらん?
それもある気がしないでもないけど、そもそも現在は胴手足が細長く描かれるコトが多く、
それに比例する形で手も小さくなっているのでしょう。

面白いのは今の主流のひとつである頭デッカチンな絵柄の中で同じ頭身でも
かっこよく感じるものと不気味に感じるものがあるということ。
バランス取りの難度や許容されうる絵柄が存在したりするのでしょうか。

顔のパーツにおいて、目を大きめにしたり鼻を小さく描写するのは気にならないけれど、
口を小さくと手を小さくと後、肩幅顔以下で細長くある程度の頭身を確保するやり方は
どうにも導入できなさそう。

目の比率が上がるのはわかるけど鼻口が小さくなるのはなんでだろう?
出来るだけ省いて視線を誘導するため?
そんな感じではない気もする。
線の簡略化はひとつありそう。鼻の長さというか目から口までの距離は
現実世界でも短めのトレンドは男女問わず割と最近続いてますので
二次元がそうであるのは別に疑問でもない気がします。
一昔前の口と鼻がくっつく位が主流だったのが何故だかはわかりませんが、
あれは明らかに変なので離れること自体は別に問題ないと思いますけど、
私の絵もそうですがやや離れ過ぎ傾向なのは何故だろう。
近い離れすぎともにただの流行でいずれ中央に落ち着くのかしらん。

・・・自分は絵柄研究家ではない云々以前に
そもそも私は昨今の絵をそんなに目にしてるわけじゃないので
こうして考えてることも間違ってるかもしれない。

あ、今ひとつ閃いた。
人間の手首の断面は円じゃないのは自分のそれを見て見れば明らかだと思うけれど、
じゃあ俵型と思えば良いのかと言うと俵型より、長方形と捉えたほうが良いのではと
思いついたわけです。
私自身ちゃんと意識してるわけじゃないのでまだまだ下手糞ではあるのですが、
人間の前腕骨ってこれは大体の皆さんがご存知のとおり、
とうこつ(なぜか変換できない)と尺骨の二本からなってます。
小指側の手首と肘がきっちり尺骨でつながって、手のひらを裏表するたびに親指側の
前腕骨がクルクルするわけで、これをイメージするには長方形の方が
やり易いのではないか、とこういう話なのであります。
骨だけじゃなく、かっこいい手首を表現するには手の腱が欠かせないと思ってますが、
手を描く上での必要そうな腱は、一番メジャーなのが指に直接つながってる腱で
手の平甲それぞれ五本ずつあり、手の平側は手首の真ん中に現れるあれで、
手の甲側はコブシのあたりの出っ張りから手首の中央に集まるようにくっついてます。
指用の腱のほかに手首用の連結部が存在するようですが、
上のメジャーどころの腱以外では、親指外側と小指側の内側手首の筋は
かっこいい手首の形を構成する上で中々重要そうであり、
これを意識する意味も込めて俵より長方形の方があるいは?と言うお話。

好き嫌い

1868

好き嫌いは無いに越したことがないのは違いない。
しかし何かを為す上で好き嫌いは原動力となりうるので、
少なくとも受け入れる場合においてはといった言葉を付け足したほうが
良いのかもしれない。
食べ物然り、音楽のジャンル、絵柄然り。

音楽は割りと雑食であるといえて、メタルがガンガンでも、JPOPは言わずもがな
アニソンであっても、ロックカントリーブルースなどなど古いのも全然いけて
絵を描いてるときはジャンルを気分しだいで変えている。
民謡民族音楽とかテクノ系とか自分に合えば新旧はあまり問わないけれど
強いて嫌いなものをあげるとするならば、レゲエとかボサノバは好きじゃないので
好んで聞くことは無い。

絵柄なんかでも好き嫌いはあって、大体は好きかどちらでもない感じなのだけれど、
片手で数えられるレベルで生理的に嫌いな絵柄は存在したりする。
これは純粋に好き嫌いのお話でで、超上手くて一般的にも知名度があって、
しかも癖が無い感じの絵柄でダメなものが存在する。
癖がある絵は好き嫌いが分かれるけれど、
癖の無い絵は分かれにくいようで、残念ながら同じ絵を嫌いだと言う仲間には
今のところ出会えていない。

好き嫌いは作品そのものの評価とは分けるべきなのは当然のことなので、
実際見ればもちろん自分の好き嫌いとは大体は切り離して楽しめる。
ただ、好き嫌いは何かをするときの原動力になりうるけれど、
何かをしないとする抑止力的な物にもなりうるので、
見ようとするのに必要以上の労力が必要となるのは些かメンドクサイ。

1867

イムホーテップ!イムホーテップ!
イムホーテップ!イムホーテップ!

三つ

1866

練習。
シングルトーン+削り、斜線陰影、筆ツールの三つ。

トーンというのは何かって言うと、雑誌用の灰色表現の為の道具。
CGで言うならテクスチャの一種とも言えるのか知らん。
テクスチャというのは表面に貼っつける模様かな。
ダンボールが味気ないときに包装紙を具合よくカットしてノリで貼り付けるのに似ている。

斜線は言わずもがな。
漫画の場合は線の組み合わせで色んな模様を作って表現したりもするようだ。

線もトーンもカラーもコミスタで特に不足を感じないけれど
(アナログ触ったこと無いじゃんという突っ込みは置いておくとして)
筆ツールだけはちょっと微妙かもしれない。
筆ツール的表現は出来そうだけど、実際の墨的なのは難しそう。
水墨画チックなのはデジタルでも出来るはずだけど、
少なくともデフォルトのコミスタの筆ツールは毛先がそんなに表現できないっぽいので、
ちょっと難しそうに感じる。
どちらにせよその辺はまだまだそれを気にする段階に達してないので
これもまた先の問題のひとつかな。

資質

1865

再三再三述べてたりすることなんだけど、
私には資質レベルで欠けているものがある。
それはバランス感覚だ。

根本的に欠けているので何かにつけてバランス感覚が狂う。
何のバランスかというと、枠内に収めるバランス感覚のこと。
名前をはみ出すことはしょっちゅうだし、
32pの話を考えて60pになるのなんて当たり前。
だからキャラの身長表みたいな横一列に並ばせるのもすごいストレス。
A4とかの長方形じゃなくって巻物レベルの横長紙ならきっとストレスフリー。

今回の絵だって、ちょっと嫌いなトーンでも貼る練習するかと描き始めたのに
ウッカリ引いた全身像描いてしまったおかげで
トーン貼れる絵の大きさではなくなってしまった。

絵はともかく話の長さはある程度は矯正の必要を感じているので絶賛矯正中。

1864

こぶしをぎゅっと握り締めて激情を表現するのって
割とありがちなやりようで私は大好きなポーズのひとつですが、
現実世界では残念ながらお目にかかったことの無いポーズです。

『絵柄』を構成しているものって何だろう?
絵柄と字の癖は同じものだ。
一目見て誰がかいたかがわかる。
絵もその人の癖が現れてるのでしょうから要素はどうやらそれらしい。
絵柄における癖とは?それは大まかには線そのものの癖、
デフォルメの癖、そして色塗りの癖とわけられるでしょう。
この辺は声や仕草を使った『モノマネ』と同じで、
真似をするならばデフォルメの癖だけでなく、線≒手の使い方動かし方も一緒に
真似てやれば似せられるという寸法。

真似じゃなくても、そこらへんひっくるめて変えちゃうと、
誰が描いたかって判別できないんじゃないかなぁ。
出来る人は居るかな?探偵と怪盗の戦いと同じでしょうね。
推理が及ばなければわからないし勝れば見切れる。
優秀な探偵ならかなりのところまで可能かもしれませんね。少なくとも自分には出来ない。

推理物か・・・自分はどんな登場人物になれるかな。
細かいコトとか周りの人とか時間とか確認したり記憶したりできないから
証言者にはなれないし、全てを見抜く目とか出し抜くトンチとかも持ち合わせてないから
残念ながらどうも主要人物にはなれそうにない。
「なんだってー!?」って言う役とか
「よしわかった」って言って突っ込まれる役か、木の役ならできるかしらん。

さてさて、常々私が私の絵のなかで変えてるっぽくしてるのは
ちょっとしたデフォルメの比率法則で、
線は変えてないから大体どれも私の絵となってくるわけだ。
もっともここら辺は遺憾ながら変えてないというよりは変えられないといったほうが正しい。
何故ならば私にはそんな色んな線を引く技術は備わってないから。
何で練習しないんだって言うと現実のGペンとかその他諸々の道具を
実際に使ったことがないから。

いつぞや言った事だけど線そのものを絵に利用したいと考えてるので
そのためにはそういった線そのものへのプロセスを色々習得する必要性に
いずれぶつかるのだろうとは思ってるけど、そのときになってから悩もうと思ってます。

おんなじにみえる

1863

そりゃあ嫌われるよりは好かれるほうが良いに決まっている。
人柄もそうだけど絵柄だってそれはおんなじだ。

絵柄って言うのは本当に恐ろしい。

漫画とかで昔の絵が好きだったとか言われてるシーンを幾度か見たことがある。
好き嫌いは個人の問題なので描き手としては残念とかはあっても
割とどうしようも無いジャンルだとは思うけど、
もっと甚だしく問題になることは下手になったとか言う言葉である。
多少絵を触ってる側から見ると上手になってるし、
絵柄も何らかの意思を持って変えてるんだろうなぁって見えても、
そうは映らないケースがしばしばあるのだ。

別に漫画に限らずどのような業界にだって送る側と受ける側との間にギャップが生じ、
その際に「これだから素人さんは」みたいな考えは普通に存在するかと思われる。
誰だって苦心惨憺を認めてもらいたい気持ちはあるから思うことは当たり前だけど、
こればっかりは伝わらなければ意味が無いので
いくら”業界人受け”しても”一般人受け”する要素が皆無では些かに問題となってしまうのである。

絵などはひとりの成長過程でもそうだし、
同様に超上手くても、そもそも絵柄自体が例えば時流と違うだけで
アンフェアな評価を得てる絵が普通に存在する。

こういった問題があるので絵柄という存在は怖いというお話なのだ。

私は別にそういったレベルというか土俵に立ててすらいない段階なので、
絵柄を意図的に作る必要性に駆られてない。
だから大体自分の描く絵は多少デフォルメ法則を変えて見たところで
大体どれも自分の絵だなぁと私の瞳には映るけれど、
上の話を当てはめれば、別にそんなことも無かったりするのだろうなぁ。

人が受け取るかは何かを表現する上では考えなくてはいけないけれど、
実際どう受け取るかはコントロールの利く話でもないけれど、
それでもあれこれ考えてるのは、
基本的に自分はチキンだから将来的に躓いた際の保険を常に幾つか作ってて、
絵柄への意識もそういった防御反応のひとつなのだと思われる。

ベタベタ

1862

ベタはいずれ実際の陰影の濃い写真を見て
研究せにゃならぬという衝動を常に抱えてます。

いくつか理想のポイントを持って絵に臨んでいるけれど
ひとつあるのは筆使い。
筆遣いがそのまま模様になったりしてるのがすごい好き。
だからいずれ習得したいと思ってます。
今はまだ表にある状態だけどいずれ裏に行ってくれればとてもうれしい。

せんせー宇宙人に会いたいんですけど 1

1861

二合分炊飯器に米を入れて水を入れた。
3のメモリに水位が達してた気がしたが気のせいとした。
炊き上がったら糊だった。

意図

1859

意図してることよりしてない事のほうが腐るほど多い。
その数少ない意図してることのひとつが髪の毛のボリューム。
いかにも漫画絵なあのもっさりボリュームが好きなので
そうしてるつもりなんだけれど、実際のとおりぺったんこ気味にするのも
悪くないとは思ってる。

これも絵柄変更をヨギナクサレたら考えようと置いているもののひとつ。

ふるい

1858

先祖代々占い師の家系でとかなら話は別だけれど、
一世代限りの占い師とか霊媒師を積極的には信じられない。
科学万歳って人間ではないのだけれど、どちらを信じるかといわれれば
科学と答える。
なぜならば、科学には歴史があるから。
歴史があるっていうのは、多くの人間が関係しているって事を意味する。
文字という記録方式によって連結された人の意思の数を信じるのだ。
インチキさんじゃなくって本当に優れた人間がいたとしても、
一人の能力には限度がある。
少なくとも有史において、例えば1600年ごろに
一人山中に生まれ出で独力で月旅行を成し遂げたとか、
そんな話は存在しないのだ。
群を成し役割分担をし、世代を超えて協力しあう力を
尊敬しているのである。

っていう風な思考の垂れ流しよりは想像することのほうが好きだ。
有史とくれば先史。歴史ってのはつむがれた存在で、
文字が発明されて記録が成されるようになって以降の時代を言うようだ。
賢くなったから文字が発明されたのではなくって
きっと必要が生じたから使われるようになったってのは文字に限らず、
大体の事柄に当てはまるみたい。
例えば文字が必要になるってのは十分人が増えて集まったからでしょう。
人数が少ないうちは口伝で伝えれば済む。
増えてくると言葉では限界が生じてくる。
耳の数にも記憶力にも限度はあるだろうから。

必要は発明の母とはよく言ったものだけれど、
要するには環境要因が何でも大きいということのようなのだ。
私たちの体だけでなく、文化もまた環境要因からなるとして見て見ると中々面白い。

人の思想も環境に大いに左右され勝ちだ。
個人レベルの育った環境はもとより、集団としてもそれはどうも現れる様子。
寒い地域、暑い地域、色んな性格が出てくる。
宗教だってその土地の性格に左右されるようで、
肥沃な土地でほっといても勝手に生命が育つところでは多神教だったり輪廻があったり、
厳しい土地とか生きるのがつらい時期とかは一神教だったり人生は修行だって謳ったり。

やりよう

1857

世の中いろんな”やりよう”があるみたい。
中でも根性論って割と嫌いじゃない。
努力と根性って良いですね。

意志薄弱タイプで努力が出来ない事に対して、
いやそれでも努力しろ、努力は誰だってできるのだからって言う方法論は
私は中々良いんじゃないかって思ってます。
そりゃあなんだって弱いより強いほうが良いに決まってますからね。
そんな風に個人的にはそんな押してだめならさらに押せって言う感じの
やりようは推してる方なのですが、私個人のやりようとして取り入れてはいなかったり。

私は意志薄弱の部類に属しますので
やはりどうしても意志薄弱側に立って考えてしまいます。
なので努力出来ない場合は
出来ないなりのやりようがあるんじゃないかって風に考えます。

己を強固な意思でどうも奮い立たせらそうにないなって時はどうするか。
ひとつ方法としては習慣化することだと思ってます。
ガッツあふれる人なら挫けそうなときに奮いたてましょうが、
ガッツが足りない人などは挫けた時すっかり放り出してしまうので、
それはそういうものなのだとして、
いっそ挫けないようにそもそもの労力を減らせば良いとずるく考えます。

表現

1856

表現の大体は自己表現で、
自己表現ってのは大雑把に捉えると自分の考えを相手に伝えることだ。
小難しく考えるまでも無く、少なくとも存在する人の数だけその人の主観が存在して、
各々の『自分』がある。
極端には頭の中の出来事以外は自己表現だって言えてしまう気もするし、
実際尖ってた二十歳ごろのわたくしはそのような些かに乱暴な意見も持ってた気がする。
お話としては面白いと思わないでもないけれど、
表現は相手に伝えるという大前提を考えると、有意識下にあるを問わず
何かに向かって初めてそれとなると考えたほうが自然である、
と多少くたびれトゲトゲの減ったわたくしはそう思うのだ。

大体、自己って言うのはややこしく考えようとすると考えられてしまうのだから
厄介な代物だし、難しいことを考えるのが好きな人はしっかりややこしく考える。

ひとつ、名誉のために申し上げておくと、
厄介なこと、細かしいこと、メンドクサイほどきっちりしたこと等々、
そういった資質を持たない人間側から見るとすごいなぁよくやるなぁと
勝手な感心をもって見られることも、
その当人はそういった趣味があるというよりは、
そうしなくてはその先の結果が得られないからやっているという場合が多いようだ。
別に面倒なのが好きなわけではないのである。

それはともかくとして、何がややこしいかって言うと当然まず何を持って自分となすかという
如何にも頭の痛くなりそうな文面を持った問いかけから始まる。
あ、全く関係ないけど、『それはともかくとして』って時に、
あのイカス言葉である『閑話休題』ってのを使えるチャンスなんだって今ふと思ったけれど、
チャンスだけど使わないってのは多分文字は口語であるべきだって思ってるからだと思う。
文学として独立してたり小難しく古めかしい言葉や故事成語なんていうのは
割と嫌いじゃないのだけれど、どう考えたって一々文語は文語で覚えるより
読み書きさえできれば後は統一ルールで行けたほうが楽に決まってるからだ。
そういう意味では昨今の流れのひとつである『 づ ⇒ ず 』ってのも
実を言うと思想としては賛成してる。
賛成はしてるけれど、自分の生い立ちの中で習得したものは
やっぱり気持ち悪いと感じてしまうので自分では使い分けるし
目にすれば気持ち悪いって口では文句を言うことにしてます。
どうせいずれかは淘汰されるようになってるのでわざわざ意識する必要がないですからね。
現代仮名遣いだって「げんだいかなづかい」が将来的に「げんだいかなずかい」になってても
不思議じゃないし、私と同じような言語認識の人は「ずかい」って見たら
「図解」だって思うでしょうが、これは知らないのであくまでたとえ話で、
図がヅであった時代の人から見たらなんと嘆かわしい図解はヅカイに他ならぬと
お嘆きになることでしょう。

よし、再びそれはともかくとして、
魚の群れや鳥の群れを見てそれが一つの生命だとは思わない。
それぞれ魚や鳥といった単位に分けられるからだ。
でも魚を一匹捕まえて、これは一匹の魚だと思うことはあっても、
小さな細胞の集まりだとは思わない。
思わないのは捕まえてるのもまた同じような存在だから、
それが基準となってるからだとは思うけれど、
集まってる細胞の一つ一つは生命じゃないのだろうか?
残念ながらこんなことを考えるのは今がはじめてなので予め調べてない為
利口な人の意見を知らないのだけれど、違うってなってるかもしれない。
その場合なんでだろう?
原子とか分子みたいにくっついてたら性質が変わるから?
でも見られる性質が違うのと存在がどうであるかってのはちょっと違う気もする。
切り離されたら死ぬから?
確かに例えば指を切り落としたら、落ちた指はほっといたら死んでしまって
ブラックジャック先生でもくっ付けられないだろう。
でも群れから逸れても割りと運命は同じ気もする。
生き残る場合もあるのと必ず死ぬ違い?
いやいや役割分担が成されているに過ぎないのであって
栄養不足が生じればどんな生命だってお釈迦であるのには違いない。
そもそも切り離された瞬間はどっちも生きてる。
あまり気味のいい想像ではないけれど、人の首を斬るとしよう。
超科学によって作られた超延命装置で頭と体をそれぞれ生きながらえさせられるなら?
人間を人間たらしめてる大きな要因は脳にあるのだから
どちらかといえば本体は頭のほうになるのだろうか?
頭だけ人間と体だけ人間が同じベッドに並んでるとしたら、
きっと頭のほうに話しかけるだろう。頭人間は口があっても体が無いので
残念ながらしゃべることができないのだろうけど。
うーん、この話を続けてもちょっと違う問題が出るだけなのでやめよう。

端折って個人的な意見の結論を述べるなら、個とか群とかもどちらかといえば
都合上の区分で、必要に応じてマクロに考えても構わないっぽいって感じだ。
電子のネットワークを観念的なニューロンネットワークとするってお話があったけれど、
ニューロンとシナプスってのは私たちにも置き換えられて、
私たちは地表っていう脳みその表面上にいるニューロンで
言葉とかそういった類のシナプスによって連結されてる存在とみなせられる。
ニューロンそのものの性能が大して変わらないけれど、
数が増えつながりが増えることに思考思想は爆発的に増えていく。組み合わせの原理?
このたとえ話は多少乱暴だけれど、少なくとも古代人を見くびる事が無いので
割と気に入ってる。
技術や文化だけ切り取って見れば、
未発展=無能だとどうしても考えられがちで、
何か見つかるたびに古代人びっくり!みたいに言われてしまうけれど、
ずっと昔に誕生した頃にはすっかり今と変わらない性能があったそうなので、
(すっかり変わらない感じになった頃合を誕生としてるのだろうけど)
個体の差として話されては些か古代人にとってアンフェアな話だと思ってるからである。

表現を用いる以上表現について考えること自体は無駄じゃないと思ってるから、
例え取り留めなかろうともこうやって機会を設けて考えるようにしてるけれど、
はっきり言って話のねたそのものにはならないと思ってるのでこうやって垂れ流してるし、
そもそも難しく考えることは嫌いじゃないけど、好きでもないのだ。
分類じゃなく数直線状のお話。

穿ち泡

1853

「あ」
ルーティーンで塗り固められた日常におけるちょっとしたアクセントな、
ちょっとしたアクシデントは、いつもこんな風に感嘆詞から始まる。
熱さにも似た鋭い痛みが目を襲う。
なぜ―理由は自明。
今はひとり洗顔中でここは風呂場。
あわてる要素は何一つない。
目を強くつぶり(どうせ痛くて開けられないのだけれど)ゆっくりと
まぶたの上から目を洗いながら考える。
どうやら目頭のあのピンク色なところをうっかりやってしまったらしい。
「珍しい、滅多に無い事だ―滅多に?一度もなかった気もする」
ぱちゃぱちゃと水を当てながらぼんやりとそんなことを考えてると、
突然に鼻腔に手ごたえを感じる。
涙に呼応して鼻水が出ることはさして珍しいことでもないので
ここは風呂場、いささかに品が無い気もするが出るがまま鼻をかむ。
手ごたえあり、いやありすぎる。
これまたあえて品の無い例えをするならば、治りかけの鼻かぜの際に出る、
会心の黄色いあれのようなクリティカル感を伴ったそれ。
はてな確認せんと見る鼻からいずるそれは泡。

こーせー

1852

最近また漫画やアニメとかをちょっとずつ見るように心がけてる。
演出構成にずいぶん意識を傾けているせいで、
意図して見てないのに、続きもののアニメとか見てても
あ、第一話にこういう話を持ってきたってことは~みたいな感じに
すっかり製作者の意図ばっかり追ってしまうようになってしまったようだ。

テーマは?テーマは?なんて尋ねられるときっとそうとは見せずに
むっとするだろうけれど、やって見たいものはたくさんある。
構成でひとつやって見たいと思ってることは、
全滅系のお話で導入の次にまず死を描いて、
それから各個人への掘り下げって並びで描くこと。
死亡を描いてから死亡フラグを描くって感じ。
テーマはもちろん生と死。
創作を司る上で避けられないテーマのひとつ。
最初に結末を置いてしまえば儚さとか興ざめとかそういったものが
当然先に立つだろうから、その上で~って言う意図。
きっと勉強になるはず。

◎◎

1851

当たり前と当たり前の間にヒソみます。
アナタはワタシを追わないしワタシもアナタを追わない。
ワタシたちの間のルール。
ルールは守られ、ルールは破られ。
ワタシは禁忌を侵します。
アナタにタズねます。
アナタにひとつタズねます。
僅かの期待と大多数の破滅願望で構成されたワタシたち。
アナタは少し望み、
そしてワタシは多く望んだ。
ただ、それだけ。

調子

1849

人それぞれ自身の調子のバロメーターなるものを持ってると思うけど、
自分の場合はひとつ食欲がある。
調子よく作業に没頭できてる時は食欲が邪魔をしてこないのだ。

候補

14050201

なーんか変換候補が少ないなーとは思ってたんだけど、
どうやらWindows様のIMEが学習なされると、
ご丁寧にも使用頻度の関係か知らないけれど変換候補を勝手に
絞ってくださっていたようだ。
定型的な文章を書く人に取っては携帯機の変換履歴とか
こういう無駄を省く学習とかって都合が良いのかもしれないけれど、
気まぐれな私には向いてるとは思えないのでぐぐって変えた。

’14年 1月~4月 まとめ

何時だってブレイクスルーが訪れるまでは
待ちの一手なのであります。

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