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類人猿強し

1968

たまにはファンタジーバトルチックな絵。
クリーチャーを考える際に
現実の動物をモデルにする場合は多々ありますが、
その元の性質はやっぱり生かしたいと思う物です。
熊や猪系ならその圧倒的な胴回りの重量感。
ネコ系ならしなやかさと獰猛さ、といった具合。
類人猿はやっぱり前足ではなく手であるということが
一番の特徴だと思いますので、腕を大事にしたくなる。
現実の彼らもそうですが虚構の彼らの腕力はとても強いでしょうね。
素晴らしいハードパンチャーだと思います。
パンチじゃなく引っかきなのでミンチです。

おっさん

1967

色々含蓄のある話を聞くのは面白いけれど、
それと同じ、個人的にはそれ以上に面白いのは頭のはしっこい人の話だ。

マシンガンのように矢継ぎ早な次弾の準備の早さは見ていて感心せざるを得ないけれど、
いつもいつもうまく瞬間的に矢を番えられるとは限らないようで、
そういった際には時間稼ぎを行うことが見られるはずだ。
単に「えーっと」って言う場合もあるし、
見栄っ張りの人などはさも分かっているかのように言葉を紡いで時間を稼いだりもする。
その人の人間性と見事な脳みその回転力が見られるのは実に楽しいことなのだ。

しゃべりのスピードは個人差が見られ、いざ口論となってしまった際には
当然その格差が問題となってくる。
マシンガンを装備している人は当然それでババババ撃ってくるし、
リボルバー式の拳銃の場合は真っ向勝負の場合勢いに押され勝ちで、
悔しい思いをすることも少なくないはず。

撃ち合いをすると当然相手もやられまいと更に必死に撃ってくるので
弾量に辟易している場合に数の撃ち合いは逆効果だ。
防空壕に身を伏せて見るのはどうだろう?
沈黙は必ずしも効果を得るとは言えない。
敵が身を伏せていれば何とかして倒してやろうと更に弾を撃ちこんでくるもので、
何とか倒してやろうと手榴弾といった違う武器も使われたりすると大変だ。
あの手この手まで使われたらたまったものではない。
嵐(自然災害)をやり過ごしたいわけではなく、口論をする以上、
こちらの弾を相手に撃ち込まない限りフェアな勝負にはならない。

眼は血走り、口角泡を飛ばし、
キチガイの如くしゃべり倒しているからといって
実際のところは本当に狂って思う様言葉を叫んでるわけではなくって、
大抵は、事の真偽や正否はどうあれ、その人なりの論を持ってしゃべってるわけで。
本当にただの感情の発露の場合はまぁ頬の一発でも張ってみるしかないだろうけれど、
普通大抵何かがあるって言うのが重要だ。

大声に対して更に大声をかぶせても自分も相手もエスカレートしてしまうだけで、
意味が無いことが多い。ストレス発散になる場合はあるだろうけれど。。
必要なのは流れを止める一撃なのだ。
これは流れの中から拾ってくる必要性が大抵だ。
流れを汲んだだけでは、相手はそれを更に踏み台にしてしまう場合がある。
踏み台に出来ない高さのものを打ち出せれば、
流れはその壁にぶつかり否が応にも止まらざるを得ないこととなる。
流れを汲んでなければ黙殺されてしまう場合もあるのは当然で、
今しゃべってる内容に即して、
さらに相手がしゃべるためのメモリーを思考のほうに割かざるを得ない状況に出来れば、
眼前のスピーカーは一時沈黙せざるをえなくなる。


なにせ、言葉などと言う物は相手に届かなくてはしょうがないのだけれど、
逆を言えば届けば良いので、
別に真っ向から対決しなくっても、例えば口では適わないのだからと、
最初に白旗をちらつかせて見せ、相手の慈悲からくる余裕に付け込んで、
まず自分の言葉をしゃべらせてもらう、などと言ったやりようだってあるわけです。

人間なんて感情的になってしまうものですから、
言い合いがエスカレートしてしまうと売り言葉に買い言葉、
心にも無いことや、思ってても口に出さない事などもタガが外れて出てしまったりもします。
それが口撃力の差で起こってしまうとそれは不幸なことなので、
そういうのが無くなってしまえば素敵なのですが、
そういったユートピア論は起こりえないのは歴史から学べることなのであります。

オーバーフロウ

1966

さて寝る前にひと思考、なんて事は日常の風景であるといえると思います。
ちょいと考えてウツラウツラ、といった感じが理想ですが、
うっかりポジティブ方向に振れてしまえば、明日遠足状態になってしまいますし、
ネガってしまうと、不眠などといった事になってしまったりもするでしょう。

人それぞれ違いますから色んな状態が存在するかと思われますが、
自分の場合でひとつあるのは『満ち溢れる』状態。
うっかりタガを外してしまったが最後、2~3時間程度思考のいわば暴走状態となり、
頭の中が音と映像とイメージで一杯になってしまい、
収束するまで寝付くことが適わなくなってしまうのです。
おかげで今日つれーわー寝てねーわー状態になってしまうわけですが、
別にミサワりたいわけではなくって、
ここで言える事は要するに眠りに向かって収束する形、
いわば竜頭蛇尾的な考え事か、
Sheep Sleep的な単調で眠気を誘う考え事といった物は
眠る前に考えるのに適してますし、
ポジにしろネガにしろアトランダムにせよ、
螺旋構造なり何なり何なりが生み出すサイクルを作ってしまうと、
眠るのにあまり適していないという形になってしまうわけのようだ、という事なのです。

普段は寝つきが割合良い方でありますので、
たまにこうして機会をもって睡眠に関してあれこれ考えるのは中々に楽しいことであります。
良い睡眠は良い人生を送るために不可欠でありますし。

ぼうんやり

1965

せっかくだからショック顔でもあれこれ描こうかなーって
描き始めたらこうなった。

1963

何年か前に流行ってアニメを見てなくても絵は見たことがあるって状態だった
『けいおん』というアニメ。

個人的な意見としては顔のデフォルメは好みではないのですが、
あの体の造詣は素晴らしいと思ってます。

私などはせっかくの二次元なのだからと、スマートに足長にボインにマッチョに
髪の毛はモッサリって感じで描いてますけど、
飽きたらああいった現実に即したのにしたいなぁって気もします。

爪を食む

1962

思っても無いことは言えない。
思ってても言わないことはある。

アンチュ?

1960

お父さん偏

そうであると言える。
そうでないと言える。

自由絶対主義

1959

やりたい事をやれる世の中であればそれは素敵な気がしますから、
着たいものを着れる世の中もまた素敵であると言えるかも知れません。

着たい服を着るより似合う服を着たほうが良い感じな事も往々にしてあります。
やりたい事をやれるのはとても素敵であるとは思いますけれど、
やりたい事をやるより、やれる事をやる世の中である方が良いんじゃないかと思います。

自由は素晴らしい事ですが、自由絶対主義ってのは行き過ぎかなって感じてます。
恋愛なんかの指標もそうだと感じてます。
単なる価値観のお話。

記憶と残心、あるいはイメージと映像

1955
1956

乱雑な練習絵が続きます。
それぞれイメージで描いた一部のスポーツの動作と、
ぼんやりした記憶の中にある道具、意図的に楽器多目の曖昧な感じのやつ。
出来れば可愛い女の子の絵を乗っけておきたいのとは
常に思ってはいるのですがですがいやはや。

せっかく雑な絵が続いたのでそれにまつわる話でも考えます。
スポーツとかを見る趣味があんまり無いし、
またやる習慣もありませんので、実感を伴った絵を描けるかって言うと微妙です。
なのでちゃんと資料を見て勉強してない限り、
脳内の勝手なイメージをつづってるわけでして
少なくとも前回今回の絵などもそれでありまして適当であります。

タイトルにある残心とは武道の用語のはずで、
例えば剣道ならば、単なる部位を打つスポーツではなく、
精神を鍛えることこそって言う信仰がありますので、
決められた部位をちゃんと打つだけでなく、
打った後の余韻が必要になってきます。
意味合いとしては成功に一喜一憂せず、常に平常を保つって感じで
実用的な意味合いで言えば、
相手を斬ったからと言って必ずしも即死してくれるわけではありませんから、
斬った後も神経を尖らせて隙を作らないといった感じの名残なのでしょう。
武道館なんかがある学校だと、でっかい垂れ幕なんかに武道用語を書いて
ぶら下げてあったりするかと思いますが、残心以外では
守破離とかの言葉もあったりしまして、これなんかも精神論の言葉ですね。
意味としては
教えをまずそのまま習い受け継ぐ(守)
身につけた技術を自分なりに改良する⇒決められた型を変える壊す(破)
そして決められた型から解放され自由に生きられる(離)
見たいな感じで、武道用語って言うよりは日本の師弟論みたいなもんなのでしょう。
似たような言葉なら何でしょう、序破急とか?
これは師弟論ではなくって、何でしょう流れの論理って言うか、
起承転結みたいな感じの言葉で、
静かに始まり静かさを壊して、加速してクライマックスって感じの
現在でも脚本とかの作り方のひとつとして継承されてたりします。
元々は日本の音楽かなんかの作り方なんでしょうかね。
最近だとエヴァの映画のタイトルの後ろについてたような?
映画見てないので適当なこと言ってますけど・・・w

さて話を戻して残心と言う一見メンドクサイ思想ですが、私は割りとそういった
余韻じょうじょうが好きでありましてスポーツとかでも
瞬間の動作よりも、その動作が終わった後、フォロースルー的な体の動きが好きです。
そうして見て見ると、
サッカーなどもボールを蹴った後飛び上がるほどの動作が見られますと、
ボールにどれほどの力が加えられているかと言う想像の助けにもなりますし、
道具でもって球を打つ球技なども、フォロースルーの体の使い方で
その人がどのような動きでボールを打ちに行ったかといった物も見えてきますので
割と想像する楽しみもあったりするのです。

やや話を変えますが、脳内にあるイメージって必ずしも映像ではないと思ってます。
勿論映像記憶ですねんって方々の脳内イメージは主として
現実の映像であったりするのかもしれませんが、少なくとも私には乖離が見られます。

これってどういうことかって言いますと、例えば小説などを読んでいると、
頭の中に主人公なりシーンなりがありありと浮かんで来ると思いますけど、
それって必ずしも映像ではなかったりするんじゃないかなぁって思ってます。
少なくとも私のイメージは映像ではないことが多く、
明確なイメージは合っても映像化されていませんので、
例えばそれを映像出力の手段の一つである絵として起こす場合に
自分で描いてみて初めて自分のイメージを知るといったことがおこりえるのです。

だから頭の中に映像が浮かんでそれをなぞっているだけっていう絵の描き方も
あるんでしょうけど、必ずしもそれだけではないんじゃないかなぁって感じてます。
仮にそれが必須の才能であるならば、
私は無能でありますし、それゆえ絵によってイメージを膨らませ、
イメージによって絵を膨らませていくというお互いの助け合いでもって
ごまかしごまかしやってゆくのであります。

いつも雑

1954

いつも雑なように見えるやもしれませぬが、
スピード全開モードでやるとこうですから。

増量

1953

ブログのアルバムの管理できる数が増えたらしいので
一枚絵用を一個過去絵をざっと適当にピックアップして作った。

たぬき

1950

さかなさかなさかな

モミーでは無いようだ

1949

おそらくは昨今の流行のひとつであると言えると思うのだけれど、
特にイラスト系、それも萌え系に属しそうな感じの絵柄において、
多いなぁと思わされるのが今回の絵でワザワザ赤色矢印で強調してるパーツ。
現実世界で言ったら、顔の輪郭をごまかす為におろしてくる髪、
二次元で言ったら、
有名なエヴァンゲリヲンの青髪の女の子の内側に食い込んでるあれな部分の髪の毛の流れ。
顔の輪郭を途中でぶった切る感じの奴です。
彼女のように髪型として内側にカールしてるのではなくって、
自然の流れとしてヌラリとホッペにかかってる感じ。

不思議と私が持ってる少ない種類の漫画では見当たらず、
ネットでカラフルなイラスト群を見てると多いなぁと感じるので
主にイラスト界で流行ってるんだろうなぁと勝手に判断してるわけなのです。

勿論漫画でも輪郭がウッカリ発散してそのままオデコに連結したら
ぬらりひょんもかくやとばかりに斜めってる絵柄も存在し、
そういった絵の場合に途中で髪の毛でぶった切りなんて絵柄は見たことありますけど、
別にそういった理由があるわけでもないでしょうから、
やっぱり流行ってるのかなって感じです。
リアル志向、と言うよりは立体志向が強まってるように感じる昨今で、
現実世界からの流れではなさそうな物があるってのは面白いですね。
それとも私の考えが至ってないだけなのか知らん?

条件

1948

絵が描ける条件として、日々の継続が最低条件であることは
以前に考えとして述べた気がしますが、
これは何も指とかの体の動きに留まらず、
脳内の事象においてもやはり当てはまりそうなのです。

最近の私の状態と致しましては、
絵の勉強モードがぐっと下がっているのはこの一年変わりなく、
脚本系統は閃き任せで特に進展なしで、
一番注力しているのが演出構成系で、
要するに閃き任せで思いついたお話をどうやって見せていくか、
そしてそれをどのようにまとめるかといった所に心を割いておる次第。

で、演出構成も色々なやりようがありますが、
基本的には頭の中でああしたいこうしたいと考える物だと思いますが、
これもずっとやってるのと、間があいてしまうのとでは感覚が違ってくるのです。
一番はやっぱりエンジンの係り具合。
実際の機械とおんなじで、どうやら人間も毎日動かしてやるほうがいいようです。


頭。。。
私は人間を人間たらしめている物として発達した脳から生じる思考こそがそれだと
信じて止みませんが、気分的なムラっけに留まらず
人生の間で有効活用できる期間がある程度定まっているのはご存知の通りでしょう。
(いわゆる全盛期)
色々な意見は御座いましょうが、一般論として思春期が終わった頃から、
疲れるまでが脳を有効活用できる期間だと言えるでしょう。
勿論早熟な人や器用な人はインプット期間でありかつ自己形成期である思春期から
あれやこれや出来るでしょうが、
まぁ土台が出来てからのほうが普通といって差し支えないはず。

簡単のために大体二十歳くらいからあれこれやれるとします。
嘘かまことか、二十歳くらいからは脳細胞は死んでいく一方らしいので
チキンレーススタートと同時期であるというわけです。

周囲を観察するに、三十台で体の変調を訴える人はいても、
脳の劣化を嘆く人は見当たりませんので、三十台も元気にやれそうです。
勿論脳の機能としては低下の一途でありますので注意深く、
あるいは幼少の頃と比較すれば話は別でしょうが、
普通に大人で生活する上では大丈夫だと言えそうです。

私の狭い世間において、人が自身の劣化を訴えだすのは
大体四十後半、五十歳手前の頃のようです。
眼は老眼が始まりだし、人によっては肩腰の慢性的な痛みを訴え、
そして記憶力の低下が口から漏れ出てしまう程度には自己への不満が溜まってしまう様子。

これらのことから察するに、
大体20年くらいが頭を使ってバリバリやれる期間であると言えそうです。
人生八十年の内の1/4に過ぎないこの限られた期間、
皆々様も是非ぜひ有効活用して頂きたいと願うばかりです。

原寸大

1947

元画像がウィンドウの大きさより大きければ当然原寸大表示するとハミる。
自由に拡大表示できればベストなのだろうけど、そうも行かない場合は
やっぱりワンクリックで原寸大表示できた方が良いかなぁとは思ってました。
なぜならば隣でワザワザブラウザーの拡大システムを利用して
拡大表示していただいてるのを見たからです。

ただし、素晴らしい筆遣いや細かな描き込みがあれば
鼻息荒くどうぞ御覧あれと言えましょうが、
そういうことも無いので些かおこがましくもあっての放置なのでした。

コスプレす

1946

一重強化キャンペーン。

ジャパニーズセーラー服アンドサムライガール。
なんちゃら様~。
女性の丸刈りキャラって素敵。

ググってちゃんと既存の何かのコスプレさせようかと思ったけれど、
面倒くさかったので適当なキャラっぽいので間に合わせ。

さがりおろう

1945

ほんの数日前まで夜中は涼しい風が吹いていたというのに、
げに恐ろしきは台風なり。

さて、日付にして二日くらい前にサムネイルをクリックしても小さいままとか言う
指摘を受けました。
全く心あたりがないため、とりあえず幾つかのブラウザーとスマホで自分のサイトを
チェックして見ましたところ特に以前と変わるところは見つかりませんでした。
ここ最近ブログの設定を変更したといったら、
多分一ヶ月くらいの間の出来事だとは思うのですが、
表示画像のサムネイルサイズを180pxから250pxって数に変えて大きくしたくらい。
後言える事といえば、FC2の画像表示はこの一年くらいに
サムネイルクリック⇒何かこじゃれた黒背景にそれに沿ってリサイズされた画像
更に画像クリック⇒ブラウザーのウィンドウサイズに合わせて最大化ポップアップ
と言う形に変わっておりまして、元の画像サイズ表示するには別ウィンドウなりで
改めて表示しなくてはならないので、若干かゆいところに手が届いてないなぁ
って感じなので(拡大して細かなとこが見れませんもんね)
それに関しては多少の不便さは思いますがこれもまた今に始まったことでもないので、
やはり原因はこちらに無い可能性が高めであるとしか言えそうにありません。


※追記

さすがにあまりに投げっぱなしすぎと反省したので久しぶりにブログの設定を覗いてみた。
取り合えず画像リンク先を素の画像にしてみた。
こじゃれた黒い画面とはアルバムページへのリンクであったようで、
漫画とかはアルバム作ってるので都合がよかったのだけれど、
細々と設定できないようなので一括でまた白いページへと飛ぶこととなりました。
黒い画面は画像は小さいけれど眼には優しいので良いかと思ってほっておいたのでした。
中央に表示されるって言うのも良かったしね。

アルバムへの移動に関してはブログの横っちょにアルバムへのリンクを設けました。
ついでに言うとプラグイン自体にもアルバム表示なる機能が追加されてたのですが、
アルバム内画像をランダムに表示する機能のようで、
漫画のためだけにアルバムを使ってる現状では役に立ちそうにありませんでした。

更についでに言うとアルバムを見て幾ら練習用の自由漫画とはいえ
最終更新日が四月と言う日付であることに
ちょっとガッカリしたのでぼちぼち更新したいと思います。
ただ本番用の方に時間を割きたいのが今の本音であり優先順位なので
もうしばらくはブログの方はイラスト偏重になるかとは思ってます。
残念ですが致し方ありません。

動く

1943


Gペンツールに少し慣れてきたみたいで、ただ線を引いているって感覚が
大分なくなってきたのはちょっとうれしい。
反面筆ツールはそれ単独では実際の筆のようにはやっぱりつかえそうにも無い。
サイズを変えかえしながらでないとダメそうな感じ。
マッキーですらもうちょっとましに色んな線が引けるというのに。

こんばんは from nightmare !

1942

鬼にオヘソはあるだろうか?
鬼が胎生ならあるだろうし、鬼はシバシバ人間から生るので
その場合は元の形の継承度合いで決まるでしょう。

雷様を思うと彼は鬼っぽい姿形であるので鬼だと思うと、
オヘソを取りに来るってことは欲しいか、存在が許せないからこそ
ワザワザ私たちのオヘソを取りにくるのだろうから、
やっぱり鬼にはオヘソがないのかもしれないなぁ。

興味

1941

興味の有無に対する私の反応は、資質のそれに似ている。
興味のあることってどうせほっといたって自分で勝手にやるので
問題は興味の無い事だ。
インターネット時代になっても私は「なんでなんで」ちゃんである。
不思議に思ったことって今の時代だとググれば十分調べられる。良い時代だ。
にもかかわらず尋ねる理由のひとつは、ぐぐるほどの興味は無いけれど…
と言うものがあげられると思う。
実際人に言う際はそのように言うと思うけれど、
本音のところは勿論それだけではなく、何だってそうだけど、
知ってる人の意見と言うのはひとつ役立つし、
ある情報をどのように目の前の人物が咀嚼してるのかと言う指針にもなる。
創作のためなのだ。
自分の中だけの世界ってのもそれはひとつ魅力だと思うけれど、
それってあくまで独自世界、個性的な雰囲気の形成には役立つけれど、
普遍的な軽い娯楽世界を構成する上では、
自分だけではダメだ足りないと思っているのだ。
虚構の世界にも色んな人がいて、その人たちが全部自分の分身では
世界観云々の前につまらないではないか。
だから人の意見は必要以上に聞くことにしてるのだ。

資質云々と似ているってのはこの部分にある。
お片づけを例に挙げれば、
片付けの資質を備えてる人は無意識の内に出したら片付けるって言うルーチンを
出来るけれど、資質を持たない人間は毎回意識しないと片付けられないのである。
何で出したら片付けないの?と片付けられる側の人間はそう思うだろうけれど、
片付けられない人間にとっては、何で毎回片付けられるの?って感じなわけだ。

資質があればワザワザ意識してやらなくても出来ると言うか、
出来ることもってを資質があるって言うのだから。

小物

1940

今までそれと言及した覚えは無いけれど、
小物とか描くのは実は嫌いじゃない。
髪型にせよ小物にせよ自分で描いた物にも勝手にあだ名つけるけれど、
実際のところはそれをモチーフに描いてるわけではないので、
ちゃんとあだ名なのだ。
柿みたいな帽子描いて柿っぽいから柿と呼ぶだけで、
デザインのきっかけに柿っぽいのにしようって事は無い私の思考は
かなり感覚偏重です。
でもファッションには疎い上に流行らせようと言う誰かさんの意思が
鼻につくので余り追ってもいませんので、
一応過去に誰かが装着してるのを見たりとか
あまり実用からはぐれ過ぎない様に適当にデザインしているつもりですが、
それでも私の描く小物にせよ服装にせよしばしばヘンテコであることは
今回の小物集を見ても明らかであることでしょう。

メンヘラちゃん海へ行く

1939

天候には恵まれましたが波は高く水温もやや低い物でした。
それでもそこそこ楽しめたようです。

頭の大きさ

1938

何かで、頭の大きさは基本的には大人になれば身長差よりも
個人差によるところが大きいため、身長の高低ではそれほど大きく
頭の大きさは変わらない。そのため、身長が高まるほどに頭身もあがっていく、
といった内容を読んだことがあった。
確かに頭身の高さは身長の高さに比例しているので、
特にそれ以上考えてこなかったのだけれど、自分であれこれ見比べて見ると、
どうもそうではなさそうだってことに気づいた。

頭身が身長に比例するのはそのとおりで、たとえば私たちモンゴロイドなら
平均身長なら6.5くらいに落ち着くくらいで、
女性は基本的に男性より頭が小さいのもあってか、
同じ平均身長でも頭身は高くなる傾向にある。
男性は頭が大きいため、
一般的なモデル体型となるには女性よりも高い身長である必要があるけれど、
この辺って実際のところは空想の類に過ぎない感じで、
実際問題として、モデル体型といわれている男女において、
女性のほうは頭が小さい小さいと囃されるに足りうるくらい小さいことが多いけれど、
男性のほうは実際それほどでもなくって、頭は十分大きく、頭身もそれほど高くないけれど、
他のパーツの長さとかでスマートさや大きさが表現され、
相対的に見て何となく頭小さいとか手足長いとか言ってるに過ぎないようだ。
頭の大きさも身長に比例して大きくなるけど、
手、足、胴の長さと比較すると伸び幅が小さいといった感じ。

モンゴロイドは、とワザワザ銘打ったのは基本的に頭蓋骨の大きさは
アングロサクソン⇒コーカソイド⇒モンゴロイドって感じで
大きくなる傾向にあるみたいだからだ。
あわせて黒人は手足が長い傾向にあるために、
スタイルといった点では図抜けていることが多い、と言うことになるようだ。
続いて白人の頭が大きく、黄色人種が尤も頭がでかい、って感じらしいけれど、
見た感じでは大きさよりも頭蓋骨の形によるところも多そうだ。
基本的に白人の顔はホリだけでなく頭骨自体に奥行きがある感じで
私たちはホリの浅さだけでなく全体的にへらべったい、といった感じ。
言わば私たちは顔と後頭部からプレス、他は両耳側からプレスされた感じの形となる。
だから私たちの後頭部はぺったんこであることが多いけれど、
白人や黒人は後頭部がでっぱってるのである。
なので同じ体積の頭であっても正面から見たら私たちの方が大きくなるようなのだ。

ついでに言うと、動物は寒い所で暮らすほどに大型化する傾向にある。
それは体が大きいほど所持できる熱量が多いため、寒さに強いかららしい。
だから熊の中ではホッキョクグマが一番大きいし、人類も北に上がるほど大きく、
あったかいところほどそうではない傾向にあるようです。
白人は大きい、ってイメージはありますが、実際のところは
北欧の人は大きく、地中海沿岸の人はちっちゃいって感じのようですね。
ただし基本的にはヨーロッパの緯度は高く、そこに進出し進化した人種であるコーカソイドは
黒人の寒冷地適応型であるようなので、全体的には大きいようです。

・・・この辺の人間の形の変化の話は非常に面白いところではありますが、
形状だけ覚えれば済む話でもありますので適当なところで置いておくとしましょう。

しかし、大きいほど寒さに強いとはなんでしょうか?
ひとつ簡単なのは体重だけ見比べて見ることかな。
太っちょの方が痩せぎすより寒さに強いのは、
皮下脂肪を蓄えるといった言葉からも真実らしいでしょう。
でも大きいと、それだけ体の表面が増えますので、そこから逃げ出す熱も増えます。
この辺は体積と表面積の関係のお話らしい気はしますけれど、
専門家でもない私たちは高校で習う微分積分などで
簡単な計算をして比べるしかなさそうです。
とにかくも、小さいほど表面積優勢になって、大きくなるほど体積が優勢になるようです。
簡単には立方体などで考えて見ればよさそうですね?
大型化の傾向にあるのは確からしいことは信じるに容易いけれど、
我々モンゴロイドは寒冷地適応したタイプは体毛が薄いのはどうしてだろう?
基本的には毛皮が合ったほうが寒さには強そうなのにも関わらず。
呼気がヒゲにつくとヒゲが凍るから~みたいな言葉を見たことあるけれど、
どうもそんなことが生存競争で幅を利かせるとは思えない。
ひとつ考えられることは、進化の過程でウッカリ、あるいはすでに失われてしまっていた、
と言うところでしょうか?
進化って基本的には淘汰の歴史なので、
道中でウッカリ失ってしまった物はまたうっかりでもない限りは
蘇る事はないのです。
狩猟民族であった時に有利であった手足の長さも、農耕民族にはそうでもないので、
失った手足の長さは戻らないし、私たちが生きるのに必須なビタミンCを体内で作れず、
他の体内合成できる生物から(レモンとか?)からムシャムシャやらないとダメなのも、
数千万年前のまだまだ小さなリスだかサルだか見たいな頃に失ってしまったきりだからだ。
そのまま再獲得にいたらなかったということは、
何でも失うのは簡単で得るのは難しい、といったなんだか慣用句みたいで
頭の痛い話です。

・・・きりがないし、素人が考えたところでしょうがないので
そういうのはプロに任せることにいたしましょう。
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