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もむけ

2200
2201

ぼうんやり口を開けて子どもと同じに面白いなぁと楽しんでられる身分でもないので、
ちょっと考えて見るに。。
一般的に子供向けと大人向けの差は理解力、
読解力の差から生じるものへの配慮によるもののようだ。
そういったものをモトに色んな意図を持って作られているという事がなんとなくわかる。
対象に向かってちゃんと狙い撃ちをするということだ。
子供向けなら子どもが受ける事を前提にするために、しばしば大人にとっては陳腐だったり、
あるいは品がなかったり、純粋につまらなかったりする事も生じてしまうだろう。
子供向けでもメジャーとなるものはそうしたポイントを外さず、
視聴背景にも目を向けているであろうことは容易に想像がつく。
たとえば子供向け長編映画とかなら、映画の尺は子どもの集中力に合わせるだろうし、
大体映画は大人と行くなり借りるなり買うなりするものなので、
一緒に視聴することを前提に作られるはずだ。
ちゃんとした作品であるのは言うに及ばず、その場のみで楽しめる要素を盛り込んでくる。
一発ネタや大人世代へのパロディ等がそういうものになってくるのでしょう。
大人だってこれは実は我々の時代にこういうことがあって~などと言う会話の種となるので
そういった付属要素はメジャー作品のプラスポイントと十分になってくるはずで、
当然そういう算段は為されて作られているのだろうと思ってる。

この口をあんぐり開けるのを自重してチョット思ってみた話の中で、
重要だなと感じることは取り合えず二つぱっと出てくる。

一個は『子供向け』という言葉そのものについて。
あくまで伝わるように平易にする事が子供向けなのであって、
『子供だまし』は子供向けではないという事だ。
勉強用語で言うなら集合論のお話になるのでしょう。

もう一個は、どうやらこれは一般的な抽象的概念に発展できるぞということ。
内訳は、ちゃんと目標を定めて狙い打つってのは
実にいろんなことの基本であり、
創作ってのはとどのつまりコミニケーションの延長線上に存在するものであり、
会話のキャッチボールではなく、会話の球技と言った感じで
これがうまい事言ってるかどうかは知らないけれどともかくも、
想像することやら構成する事で頭がいっぱいになってしまって、
一番初期の目的の『相手に向かって投げかける』という事を忘れちゃならないという事だ。

内訳に入るってほどじゃないけどもうひとつ気になったのは”悪名”について。
子どもに受ける事がしばしば大人にとって教育に悪いと捉えられる事はよくある話。
一昔前なら「くれよんしんちゃん」の物まねが槍玉に挙げられてた気がする。
ぱっと考えた事も口に出したり文章化すると長くなるって言うのは
人のコミニケーションの最大の欠点だと思ってるし、実際今も長文化しつつあるので、
悪名そのものへの考察は端折って気になった点へ突入する。
人は多様性を持って存在するため、万民が認めるものはどうやら存在しえないようだ。
だからある程度不特定多数の目にさらされる存在となった場合、
必ず賛否両論に分かれることになる。
これってそうした自然の原理的なものにのみ引き起こされる事で、
作り手側が意識する点ではないと思ってたのだけれど、
悪名云々を考えると、意外と色んな意図が存在する場合もありえるのではって感じる。
確かに世の中利口な人は沢山いて、
皆がみんな神様仏様と目をつぶってサイコロを振るという人ばかりではなく、
色んな意図を持って行動を決める人種はいるでしょう。
小学校の勉強のやり方ひとつとっても、自分で計画表作って動く人間もいれば、
親にすべて決めてもらって動く人間もいるし、気まぐれにやる人間もいれば、
もう全くやらない人間もいるでしょう。
全くやらない人間も、やれと言われたからやらないって人種と
純粋にただやらないって人種がいるだろう。
いわんや大人をやって感じだ。

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