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2437

全く残念な事に全身のリンパが腫れてしまいましたが
ようやく横になれる程度になりました。
体重が落ちているのに顎が丸くなってたりと
多少面白い面貌になってるのも自分事だから遠慮なく笑えるというもので、
興味深い経験であるとは思いますが痛いのはやはり嫌なものです。

痛みと言えば肘の痛み。
関節のあちこちが痛むのはこれはまぁ病気の際はしょうがない事だったりしますが、
以外なのが絵を描く際に肘の痛みがダメなこと。
何事もなってみなけりゃわからんこと、考え無い事なんて山ほどあるものですね。
絵を描く皆々様は、手のケアは手首より先とか肩だけでなく中間にある肘にも
気をつけてあげたほうが良いかも知れません。

チェック

2436

手前の人は居合わせただけの人。

今日は劇的に体調が悪かった。嘔吐と眩暈の分だけ
気管支炎より気分的にしんどかったけど
ふらつくからと言って歩かぬわけには参りませぬ。
良い日曜であったとは言い難い1日であったなぁ。

邂逅Ⅱ

2435

両雄並び立つ。
これは多分ケースバイケースであるんでしょうが、
考え方においてはどうやら立てるように感じます。
例えば集団行動的なことについて。
私は何をするにも連れ立つとか村社会特有の周囲の目だとか
とにかく人の評価に左右されるのが結構嫌いだけど、
じゃあそういったものに反対かって言うとそうでもありません。
村社会特有の排他性が持つ利点は十分分かりうるものですし、
そもそも社会と言うのは色んな人たちの集合で成り立つわけなんですから、
当然そこには集団が有する属性が生じるわけなのです。
だからそうした属性は尊重すべきものだと感じてます。

こうした自身の主義主張とまた違った考え方は頭の中に両立できる事ですし、
自身の興味等とは関係ない理由によって考えざるを得ない事なども出てくるわけです。
そうしたものの例の一つは政治でしょう。
政治に関する関心は勿論興味を持つ人だっているでしょうが
(学校生活をかんがみて、数少ない人は率先して学級長に立候補し生徒会に立候補したはずです)
そうした興味が無いとしても関心を持たざるを得ないジャンルなのです。
私にとってそういった興味がないジャンルに関しては人に聞くというのが常套手段です。
割と熱意を持ってしゃべってくれる人を目掛けるわけなので、
当然ある程度熱を持ってしゃべってくれはるのですが、
聞き出した当初などは、一般常識なども欠けてるわけですから、
正確な理解が出来ないケースも多かったりします。
現行政治から話が外れると多いのは戦中戦後と右翼左翼と日教組って感じが
私の周囲では多く聞かれたお話でした。
戦争に関しては政治とは別途歴史を学ぶ事で穴埋めが出来たりしますが、
右翼左翼とかのキーワードは当たり前にしゃべられても
少なくとも私にはさっぱりな言葉でした。
言葉の元の意味するところは、”右は保守左は革新”と言った感じで、
これ自体は別に政治に関する特別な考え方ではなくって、
私たちが本来持つ性質によるところも多くありますね。
二時間空いた時間を、大好きな映画をもう一度見るか新しい映画を見てみるか。
大好きな映画には新鮮さは無くても安心安定の感動が得られます。
新しい映画は外れる可能性もありますが、新しい傑作に出会える可能性も生まれます。
こうした人間本来の考え方に、それぞれの立場から
今のままのほうが良い人と変わった方がありがたい人っていう風な立場上の利害も入って
それぞれが喧々諤々と言い合ったりするわけのようです。
ところがこの50年100年の間に色んなことがあったらしく、
本来の意味に加えて、右翼と言えば愛国主義者を指して、
左翼と言えば国家間の枠を超えて皆仲良く云々みたいな
所謂攻撃的なレッテルを貼る場合に用いられるので
うかつに聞くと混乱してしまうワードとなってしまってるのです。
その人が何を言いたいのかというのをみとかないとボケてしまうというわけですね。

狂言回し

2434

主役の二人が日常パートを担当し、
謎に触れる立場の人らを裏方に配置した為に、
物語のミステリー要素のけん引役に気まぐれな立場の彼女を設置。
取材と称しては様々な所に現れ突入していく介入力は
けん引役に相応しい力があるが彼女は実際には別に記者ではなく…

宝くじ

2433

大体の文を一見さん目掛けてると言っても、
未読の記事に書いたんだろうなぁと類推できる事や、
長文化しそうなときなどは思いっきり端折ったりして書いてるわけです。
前回記事の宝くじの話なんかもそんな感じ。
端折ってるから若干分かりづらい言葉になってるだけで、
説明してしまいますと何でもないことだったりするのです。

人の記憶や認識は結構アンフェアーに出来てます。
印象深いことと印象深く無い事どっちが記憶に残る?って聞かれて
どっちもバッチリ残りますって言う記憶力優秀タイプな人はそう多くは無いでしょう。
普通大抵印象深いことのほうが深い分だけ記憶に刻まれる傾向にあるのです。
宝くじのお話は目の前でくじ引きをしてる人がいるとして、
貴方からはクジを引いてる姿は確認できません。
クジを引いている人は外れクジには無反応です。あたったときだけ喜びます。
となると見る限りではあたって喜んでる姿だけしか見えないわけです。
実際は倍以上も外れていたとしてもそれを確認するすべはありません。

こうした情報の不均一さは他人の意思のみで生じるものではなく、
勿論自分の中からも生じます。
人はとかく印象深いことのほうが記憶に残りやすいので、
例えばメモを見返せばフェアーな事象でも、
印象で語ってしまうとあたかも偏りがあるかのようになってしまったりするのです。

フェアかアンフェアか、イメージか理論か。
絵を描いたりお話を考えたりする上でもこうした事は勿論切っても切れない事で、
私はとりあえずお話の流れはフェアに、キャラもフェアに、絵はアンフェアでって考えてます。
絵がアンフェア?
例えば窓から外を見ます。目の前には背の高いマンションが建ってます。
地面からまっすぐ生えてるのだから真っ直ぐ上にラインがあるに決まってます。
ところが私の目には斜めに見えます。だから斜めに描くです。見たいな感じ。

なま

2432

例えば棚の上の物を取ろうと必死に手を伸ばすとする。
背筋は勿論、ふくらはぎだってブルブルだ。
指の先が何とかかかってそれを頼りに何度も引っ掛けて
息も絶え絶えにやっとこ取れたとする。
「もうほんの少しでも背が高ければ楽に取れたろうに」と、こう思うだろうか?
「今の身長でよかった…あと少し低かったら届きもしなかっただろう」
そう安堵するだろうか?
人の心理とはそういった意味では面白いもので、
これと当たった瞬間しか見えない(記憶されない認識されない)宝くじと合わせて、
人の生活における心に大きく作用してるように思える。

何がどうだと言うつもりはないけれど、足りないって思わなければ
向上心はでてこないわけだから、
そうした心から派生する虚栄心やらそういった気持ちそのものを
”高尚な考え”とやらで全く切り捨ててしまうのはどうかなとやはり思うわけです。

どんなジャンルでも専門的にやる場合とそうじゃない場合では
必要な捉え方が変わってくると思ってます。
人の心理なんかもその類でありまして、
専門的にやらないのであれば、基本的には人の心理のほとんどは
生命、或いは生物としての枠から全く外れることはありませんので、
それを基本として考えれば不可思議な心理は存在しません。

そう考えると、次に不思議となるのは『生』そのものだと思います。
生きてるって何だろう?この疑問において最も魅力的な考える道は
生きてるとは?と問い続ける事だと感じます。
ただし随分と険しい道であることは間違いありません。
魅力云々を置いておいて、さてでは考え易いという道を見てみると、
これはシンプルに「生物じゃないもの」を見てみることだと思います。
そこに「生命の定義とは?」とかいうややこしい事は必要ないでしょう。
適当にその辺の石でも水でも空気でも何でも良いのです。
するとあることが浮かんでくると思います。
そう、差が無いのです。生き物と生き物じゃないものとの間に差が無い。
石を蹴っ飛ばすと蹴っ飛ばした方向に飛んでくでしょう。
ある条件になると空気は動いて風が生まれます。
ある条件化では台風になったりするでしょう。
川の流れも同じです。
皆ルールに法ってそれに従い行動するもの達なのです。
我々も同じです。
決まった方向に進む台風や川よりは多少自由度の高い移動が出来ますが、
言うほどに自由意志なんてものは存在しないのです。
お腹が空いたのでしりとりをしようってなるでしょうか。
今にも崩れそうな崖に気づいたときに急に意味無くポッケを裏返したりするでしょうか?
そうです、フリーは決してランダムではないのです。
選択肢を有するということなのです。

さてさてこの方向性で考えていきますと生に対する説明は一応出来る気はしますが、
生その物への説明は難しいと感じるでしょう。
この先は専門的に学べば得られるのか、或いは私の思考の道が完全に間違ってるのか、
先はまだ長いのかということなのでしょう。
説明は出来るけどそれその物はよく分からないってのは、
世の中そんなことばっかりっぽいのでその事自体は気にする必要は無いようです。
更に進むか、別のことを考えるか。
世の中は不思議が満ち溢れてますね。

とうしん

2431

幾つか若干頭身を下げた絵を描いてきたけど、
やっぱりもうチョイ高い方が好みだなぁ。
といっても、このキャラ自体は150ちょいの小柄なので頭身的には
いじっても変わらないだろうけれど。

武器

2430

やきもきしないで済むのは良いけれど、
そういう楽天家だってやきもきしなくて済む前には
あれこれ考えざるを得ないシーンが存在するし、
そういったときにはしんどいものだったりするのだ。

武器って描いてみて思うけど、好きでも嫌いでもないなぁと言うこと。
もうちょっと興味あるかなと思ったけどそうでもないみたい。

いらち

2429

いらちは関西圏で使われる言葉。
どちらかと言えば廃れてる側の言葉だと思われる。
その言葉の意味するところや、
しばしばしばらく感と同じくいらいらに引っ張られてか、
どこか短気でイライラしてるってイメージが浮かぶけど、
実際のところは純粋に気短と言うよりはせっかちと言う意味合いのようだ。
短気なおっちゃんが
「わしイラチでのぉ」といってもビクビクする必要は無い。
せっかちだと言ってるだけなのだ。
ただし気が短い人は基本的にイライラし勝ちだから
そこは油断しない方が良いかも知れない。

区分けするなら私も『いらち』側の人間だと思う。
人とやるゲームとかなら、
例えばやや殺伐としてて、見知らぬ四人組が集まり強大な敵と対峙しなければならない、
その為には大きなほら貝持った補佐役が必要なのだってシーンがあった場合、
補佐役より攻撃役のほうが集まりやすい傾向が多々見られるため、
ならばと最初から自分がやったりする方が待たずに済むとか、
補佐に限らず回復役であったとしても同様で、
待たずに済ませるなら済ます傾向にあるように思われる。
勿論気心の知れた人間とダラダラしゃべりながら
見知らぬ参加者を待つってのも悪くは無いのだけれど、
まどろっこしいよりはそうじゃないほうが良いと感じるため
ならばと最初から自分がやったりするわけ。
そう、やはり自分はせっかちだろう。

ちなみに絵の鈍器は笛を暗示してはいません。
ただの大型鈍器。
鈍器ってすごい強そうに見えるけれど、
戦争の道具を見てみると(詳しいわけではないけれど)
近接戦闘の花形は多種多様の刃物のようだ。
防具が発達してようとも殺傷力においてはきっと
鈍器より刃物の方が優れてるんでしょうね。

一日四十八時間

2428

勿論ただの2日を1日としてカウントする話では無い。
自己をスケジュールでもってバリバリ管理したり、
時間を有効活用することに長けた人なら別なんでしょうが、
意識低い系の典型である私などは、時間が足りないなぁとよく感じます。
1日が倍になったらとりあえず倍はボンヤリしたいですねぇ。

個性

2427

個性と言う言葉が嫌い。
最近の私の狭い世間では聞こえてくることが減ってきてほっとしてる。
個性、個人、オリジナリティ、オンリーワン。
本当を言うと言葉自体やその意味するところが嫌いなのではない。
盲目めいた信仰が不気味に感じるだけだ。
個性個性と言うけれど人個人の違いなんて如何程のものだろう?
ありがたがるほど違いがあるものだろうか?
頭が人によって五つあるとかならそりゃあ個体差がでそうなものだけど、
普通大抵そういうことはない。みんな大体一緒だ。

その好き嫌いを持ち込んでるつもりは無いのだけれど、
自分の絵は普遍的、無難、没個性的な絵柄であってほしいと実は思ってる。
理想に向かって早く上手くなりたいと言う気持ちが無いわけではないけれど、
その心とは裏腹に牛歩な私の上達ペースに業を煮やす人が
いるといけないので私のブログはやや排斥的な構造になっているのかもしれない。
刹那的には見てほしいし、継続的には見てほしくない、そんな心。

たまには考えてる事じゃなくって、メンタリティを語るのも面白いかと思ったけど
面白いものじゃなかった。やっぱり自分には心理方面は向いてないかな。

叩いて伸ばす

2426

一般的に高いプライドがかえって仇となってしまっていたり、
反骨心を作用させた方が良い結果が望めそうな場合に用いられるのが、
所謂『叩いて伸ばす』。
指導者の理不尽や或いは逆切れ等の印象が混ぜられる為に
その有用性がボケてしまっているケースが見受けられますが、
やりようとしてはそんなに不可解ではないと思います。
逆の言葉で使われるのは『褒めて伸ばす』でしょうか。
これら二つを対比させてみて大雑把に捉えるなら、
『YES』か『NO』かと言い換えられるかもしれませんね。

あるA君がとあるアイディアを持ってきたとします。
苦心の跡が見られる中々の力作であると言えますが、
先輩である貴方からは若干の物足りなさを感じたとします。
「ちょっと物足りないかな」といって持って帰ってもらって
結果改善が見られそうであるならば『NO』、
「うん、良いね」といって今回は何も言わずOKを出して
成功体験の結果A君は成長を果たすと見るならば『YES』を選択するわけです。
そう、何も強力な金槌でもって反発力が生じるほどボカンボカンと叩かずとも、
コンコンと叩いて音を響かせるのだって立派な叩きようだと言えるでしょう。
結果的に得られる成果がより大きくなるであろうと思われる方を
選択するだけなのであります。

勿論世の中には、いくら立場が判断を下すサイドであるといっても、
能力の伴わないどうしようもないボンクラがいる可能性はゼロではないかもしれませんが、
大抵の場合はどんな人のどんな判断にも、それなりの基準と言うものが存在します。
一方的にディスるのも有りかも知れませんが、
時には相手が目上だろうとそうした配慮を行ってみれば、
相手だけでなく自分にとってもストレスを緩和したりできるかもしれません。
それに人はいつまでも言われる側ではいられないのです。
何でもかんでも「その立場になって初めてわかった」では
ちょっと芸が無いかもしれませんし、
何が参考になるかわからないのが世の中と言うもののようですしね。
「意味がわからないぞ?」って時に
本当に意味が分からないことなのか理解が足りてないだけなのか位は
都度鑑みてもそう時間もとりませんし平和に役立つと思うんですけど如何なものでしょう。

劇的に悪い体調が絵を描いてたら改善された

2423

体調が悪いのは昨日の疲れが寝ても完全に抜けなかっただけでしょう。
どんなに疲れても寝て起きたら治ってる!って時期はとうに過ぎてしまった…人間。
今後更に増えていくのだろうなぁ。

ネームを修正してたらセーブ前にデータが飛んでしまった!
十年前のパソコン事情じゃあるまいし…
いやよそう、パソコン君の所為ではない、ヒューマンエラーだ。
しかし何でしょうねぇ、未だにセーブ云々かんぬんって古いと感じますねぇ。
データが膨大になっちゃう?そこを何とか素敵技術でやっていただいて、
はよう未来世界になって欲しいものですねぇ。
セーブポイントじゃなくてセーブラインと言うかどこでも戻れるし見たいな。
一々セーブしますかはいいいえってのが無くなると良いですね。

正直に白状しますと高身長の人間描くの難しい。
男女で180/170くらいの普通の高身長は特にそう感じませんが、
これが190/180ってなると途端に難しくなる。
多分生きてきて周囲にそういう高身長の人がいなかったからだと思う。
見たかどうか、欲を言えば見慣れてるかどうかは大きいのだなぁと感じる。

おめめ

2422

今日は酷使のせいで色んなパーツがちょっとしんどい。
目も乾いてる。しぱしぱだ。午後はリポビタンが動力源だった気が致します。


目と言うものに対する重要性に己の感性は依存しない。
どんなに私が目にあまりウェイト置けないなぁと思ったところで、
社会を構築する動物である人間の大きな特徴として
目から読み取れる情報の多さは変わることは無く、
絵だろうと眼前にいる人だろうと目と言うものに意識は奪われるものなのである。

そんなわけで描く上では存外にぞんざいに描いてはいなかったりします。

周囲にあるキャラ絵を色々見てみると
違和感のある目と違和感の無い目が存在すると感じます。
その違和感について敢えて深く考えてはいませんが、
例えばそれは『頭蓋骨等の合理性が存在するか』と言ったものでもなくって、
十分デフォルメされていようといまいと、
形状や大きさ、比率にはどうやら関係なさそうな感じ。
極端に大きい瞳で揶揄されがちな絵柄でも違和感自体はないものや、
流行の絵柄を模した良い感じの目であっても違和感があったりするのです。
違和感を強いて言葉にするなら
『キャラの顔に目がある』のか『キャラの目の位置に目のシールが貼ってある』
と言ったものになるでしょうか。
これは感覚のお話で、目を立体的に描いてるか否かというのには必ずしも
関係してるとは言えないと思います。
言うまでもなく違和感は後者のものによって生まれます。
なんなんでしょうねぇ。魂とかそんな物ではないとは感じます。

自分が一番漫画の絵柄で採用したいのは真っ黒な瞳。
虹彩もハイライトもいらない。
ところがこれは法令線等の顔のしわがイコール加齢の記号になってるのと同様に、
放心状態等を表現する記号としての市民権が十分得られてますので、
現状採用し難くこれあり候にて渋々ハイライトはいれるようにしてます。
別に凝った目が嫌いってワケじゃないので
描く事に特に心理的な障害が無いのは助かってます。

と言った感じの感情の蠢きが
新規ページを作成するをクリックして開かれる間の時間に
発生していた為に今回の絵はこんな感じとあいなったわけであります。

目だけ変えて描くつもりだったけど出来上がったものは
一つ一つ目以外も変わったものとなりました。
キャラ自体は一応全部同一人物です。
まぁこれは自分の絵の描き方がこういうやり方を採用しているので致し方ないのであります。
色んなパラメーターがリンクし合ってるのはアバター作りにはやや劣る手法だと感じます。
各々が独立しあった簡易的なモンタージュの方が良いのが出来る気がします。
記号化って言うのは本当に面白い考え方に感じます。

既視感は何も教えちゃくれない

2420
2421

キシャキシャキシャ-って描くの好きなんだけどね。
画力が十分上がれば分からないけど現状甚だ見目麗しくなくだからね。
見栄え改善のために、ごまかし装飾で
トーンの感覚を養いがてらグレーを落書きにも付けようかと
四日前くらいから悩んでるんだけどね。
どうしたもんかなぁ。

生ぬるい夜

2418

どの季節の夜も魅力はあるけれど、この時期の夜は大分良い。
肌にゆるりとまとわり付く湿気、生暖かい温度。
ああ、夏が来るんだなぁ。

いやぁ参ったよ

2417

モブ兵士さん。お名前はセカンド・フィースルフト。
地方領主の息子。
やつれた姿で登場。

「努力できるのも才能だ」と彼は言った

2416

「やっぱ夢を叶えたい」
そんな話を聞く。とても結構な事だと思う。実現が不可能とも思えない。
しかし当然問題はおおく存在する。
何故ならば多くの夢や希望は実際にはスタートラインを指し示すものである事が多く、
例えば個人のお店を出すならば、開店オープンやったね!がゴールじゃなくって、
そこから得られる収入によって最低限生活費はまかなえ、
更にあわよくば…といった具合の算段は当然為されるものなのである。
10代でかつ学生時代(多くが当てはまる立場だ)のときは想像も付かないことだけど、
実際問題として『働く』と言う行動が生活時間の多くを占める事になる。

よく聞く話かもしれないけれど
「仕事から帰ってから違う資格の勉強をして夢を叶えました」とか
そういった
『好きなことなら無限に頑張れる』『自分で決めた事だから』
と言った美談が世の中には存在する。
『蛍の光や雪明かりで勉強する』と言った類のお話と通じるところはある。

確かに頑張れる人は世の中には存在すると思う。
ただしこれは特別な才能だと私は考える。
いやいやそれって本気じゃないだけでしょ?怠けモノなだけじゃん、と言うは容易い。
でも世の中を見回して欲しい。
誰しもが本気になったら頑張れるならどうして世の中には不満の種が尽きないのだろう?
皆がみんな夢を追って成功するなり夢潰えるなりした人々だろうか?

無限の情熱や延々努力し続けられる事が幻想だとは思わない。
ただ、人間の誰しもが有しうる普遍の力であるとも思えない、と言うだけの事。
幸いにしてそういう才を持った人は存分にそれを振るうと良いし、
そうじゃなかったなら、勿論自身を改造し奮い立たせるのもありだろうし、
無いものねだりをせずに無いなりのやりようをするなりするしかないのだ。

そんな風な事を才気もあり私よりずっとバイタリティに溢れてるであろう人が、
動けず悩む姿を見てボンヤリ思うのでありました。

ぎっちょカップル

2415

今のご時勢でもさすがに電波の具合が思わしくないようです。

----------------------------------------------------

気管支の具合が大分よくなったので
日中ゴキゲンに鼻歌歌ったら、しこたま咳き込む夕暮れ。

けーけんち

2413
2414

こうして自分のラフみると足りないのは経験値だなぁと思う。
上手な人に負けたくないなぁ。

けーけん

2412

経験に勝る経験無しなんて言葉があったりなかったりするけれど、
大抵に置いて真理なことだ。
頭でっかちを否定する際にそうしたワードか類似のシーンでもって語らせたり、
マニュアル人間への批判なんかも同様だ。
確かに経験は偉大だ。そして経験に勝る経験が無いというのは
すなわち人の想像力の程度を示唆することでもある。
でもどうだろう?
例えば目の前の旅人の意見に感銘を受けてあなたはすぐに五年間、
世界中を旅して回ったとする。
その五年は何事にも変えがたい経験であったとしよう。
しかし同時に旅にでずにいた場合の5年間は存在し無い事にもなる。
その後に違いがでる云々の話ではなくって、
純粋に人の人生には限りがあるということなのだ。
それぞれに寿命があるとは言っても、持たされる時間は同等だ。
ある人の5年間がある人にとって10年使えるなんて話は存在しない。

登場人物を考えるのだって同じだ。
現実の人ほど素晴らしいモデルは存在しないだろう。
でも一体生涯でどれほどの人間と知り合えることだろう。
友達百人できちゃう人間ならさぞサンプルは多かろう。
それでも100人だ。主要人物を埋めるには十分だけれど、
見えないところで動いてるモブたちの行動原理を埋めるには十分であると言えるだろうか。
仮にそうしたところへ配分しないとしても、
10こ話を作ると10人ずつ配分してしまったらもうおしまい。
後は組み合わせと想像力となってくるわけだけれど、この辺が怖いと言うお話。
特に自分はそうだけど、自分を定規であれこれ測られるってのは怖いお話だ。

2411

鏡に向かって舌を出す。
鏡の向こうの世界への疑心暗鬼でもないし、
自身への嘲笑でもない。
そもそも舌を出す表情を自分は使わない。
ただ色を見てる。
真っ赤だ。
大分健康度が戻ったと言う事だろうか。
いや医者じゃない。そもそも赤すぎる気がする。
普段はもう少しピンクに近かった気もする。
うーむ。

図2

2410

わかり易く言えば良いのにって思う。
必死なのは大いに結構、でもその単語って一般用語かな?
その業界に入る前に聞いたことあったかな?
正確な単語を使って情報量100で発信して80で受け取ってもらった、結果80。
一般単語を使って情報量80で発信して80で受け取ってもらった、これも結果80。
どっちも同じ?前者の方が正しい情報が補完される可能性もあるから上?
その言葉は皆がなんにでも探究心旺盛なら真に成るけれど、果たして皆そうなのかな?
それに人間には感情がある。
何か難しい事しゃべるなぁって人への不信感は果たしてプラスになるのか知らん?
あのときは分かりにくくても正しい言葉を教えてくれてありがとう!
ってのは先生生徒だけじゃないかしらん?
鉛筆で作文を書くとき、なんていわれるだろう。
美しい言葉を使いなさい?率直に書くように?
多分一番言われる事は内容でも字体でもなく「丁寧に文字を書きなさい」だと思う。
下手な字でも丁寧に書けば読めるって習うと思うし実際それは真実だと思う。
勿論どんな能力も高いに越した事はないけれど、
持ってるもの以上出せないのは当たり前なのだから、
持ってるものをちゃんと丁寧に伝えましょうってのが
文字に関わらず色んなやり取りの基本じゃなかろうか。
相手に伝えられないのは発信側の能力不足であるとは必ずしも言えない。
どんなに丁寧にボールを投げても受ける側がグローブを持った手をダランと下げたままでは
相手にボールが渡らないのはこれは当然だし仕方ない。
どんなに心を砕いても相手がその気になってくれない事だってあるものだ。
こちらに砕ける沢山の心があるのと同じくらい相手にも沢山心が存在するのだから。

…滅多に自己嫌悪はしない軽いタイプの自分だけれど、
こういう青臭い話をするときは決まって自己嫌悪が入る。
いくら思ってることに沿わない事をしばしばブログでやるべきと思ってても、
自己嫌悪が出るようなことまでやらんでも良いと思うのと同時に、
そういうのすらも反対する気持ちと、自己嫌悪もまた自分の精神に色んな作用を
もたらすのではと言う打算も存在する。
一ついえることは気分のいいことじゃないってことだけですな。

秘密基地

2409

当たり前に広がる田んぼ。
うっそうと生い茂る茂み。

或いは畔に沿って歩き、
或いは踏み分け切り分け進むと、
突如目の前が広がります。
荒野。
誰も訪れる事のない静かな空き地。
地勢に合わぬ赤土。
捨てられた岩岩岩。

そこは確かに私にとっての”火星”でした。


今はテラフォーミングが進み太陽光パネルが整然としています。

始める前に止める

2408

考えてる事を書き出してみようと思って
ためしにメモ帳に書いてみたら
がっかりするくらい長文で止める事にした。

バリエーションなんてものは無い

2407

これらを使っちゃう(出来栄えに関しては積極的に無視するとして)と
もう後は左上の発展前である初めて覚えた旧来式のCG塗りとか
見よう見まねのアニメ塗りとか残りはもう苦し紛れに白黒陰影くらいしかない。
大体において物事って何でもリンクしてるもので、
何かが乏しいのに何かが富んでるなんてことは中々ないわけでありまして、
この場合で申しますなら、絵柄のバリエーションの乏しさから、
その他は推して知るべしと言うわけなのであります。

将来的に何か覚えられる可能性は十分に存在しますが、
必要に迫られない限り、色塗り加工技術の進展は牛歩でありましょう。

色塗り、割りと楽しいんですけどねぇ。

ほねほねほね

2405
2406

足は結構好きなパーツ。
顔や胴体よりは手足と言う末端の方が描く分には面白い気がする。

電話とかで首折り曲げて肩と耳でサンドイッチしてハンズフリーが嫌い。
正確には首折り曲げるのが嫌い。怖い。

前も言った気がするけど漫画で良いなって思うのはキャラに焦点を当てるのに
キャラの顔やらに必ずしもスポットを当てる必要が無いところ。

キャラの方が好き、背景が得意で人物は苦手なんて話を聞くけど、
得手不得手を考えなければどっちも同等に面白いと感じる。

外見じゃなくって中身を見て!なんて言葉がある。
これは実に正論だと思う。
「私は運動が極めて苦手だけど、料理の腕は誰にも負けない」ってことなら
運動能力じゃなくって料理技術を見て!ってなるのは実に当然の話だから。

外見と中身が別物と考えるのは自然と人工が別物って考えるくらい無意味だと思う。
どれも単なるパラメーターだし、パラメーターの境界線は人の意思が決める事なのだから。
数字と同じ、描く線と同じ。

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