FC2ブログ

天候の話題

2825

「あなたの趣味は何ですか?」
この話題はてっきり単なる導入的な言葉だとずっと思ってました。
強いて意味を求めるなら履歴書にある程度の、
どういう人間かを探る表層的なとっかかり的な意味合い位は
存在するだろう程度にも思ってはいました。
休みになると暇で仕方がないから仕事があるほうがいい。
趣味がない?休日何やってるの?
なんて言葉を耳にした経験が増えれば
冒頭の問は単なる導入ではなく
純粋な興味の話題の可能性も大いにあり得るのではと
最近では考えを改めました。
私などははっきり申し上げまして
皆々様言うほどの趣味という趣味は無いと申し上げて
全く差支えないような人間でありますが、
じゃあ人生は壮大な暇つぶしだって考えてるかというと
そういうことはなくって暇な時間があればあるほど
あれやこれややりたいので退屈する暇はないようです。

最近妙に(人間の体力の)電池が切れるのが早いなぁと思ってたら、
今月の勤務時間が先月の倍になってたり、
さらに常時新しい事覚えたりでこうした条件を考慮すれば
さして疑問に思う必要もなかったのかもしれなかったり。
1日6時間睡眠は確保するとして1か月は残り540時間?だかありますから
そこが埋まるまでは平気じゃん?って理論は
多分世界中探しても存在しないでしょう。
いずれにせよ欲するは無限の体力、ということになるかもしれません。

そうした条件はさておいて、私個人の人間改造計画は割と順調でありまして、
日常会話がフキダシに置換されたり、
目にする風景がオートでコマワリされたり
カメラアングルを操作してみたりと
大分順当に進んでるんじゃないかなぁと思ってたり。

無地

2824

memo ha muji ni kagiru

メモ

2819

割とメモ魔な方だ。
他愛もないことと数字の羅列なんかはよくメモする。
どうせ忘れちゃうからだ。
大事なことはメモしない。
大事なことは忘れるもんじゃないのだから。
そんなわけで我がメモ帳は基本的に混沌となる。
絵でメモする場合などは、
以前は随分イメージとかい離した絵で
しぶしぶ取ってたものだけれど、
最近は修行の成果もあって
割とスムーズにやれるようになってるのは
一つ絵をやり始めてよかったことかもしれない。

共感性と協調性

2818

昨日はその日のメイン業務が随分早く片付いたので、
さあらばと別の事に取り掛かったら、
六時間程度ぶっ通しで集中力が続いて
こちらもまたすっかりと片付いた。
「うわぁなんてぇ体力と集中力なんだ…」
って自画自賛してたらアドレナリンだかが切れた瞬間に
ガス欠を起こしてお風呂に入るガッツさえ残されずに
最後の力を振り絞りベッドにたどり着いたが最後
あっという間もなく睡眠の彼方へと引きずり込まれてしまったのだった。

そんなわけで久しぶりに八時間ほどたっぷり寝たので
朝の目覚めも早く、これまた余剰の時間を利用して絵を描き
そしてさらには駄文をむさぼるのです。
コーヒー、朝日、絵、文、最強の朝じゃあないでしょうか。

さて作文。

協調と共感、何だかどっちも雰囲気的には近いところにある感じだし、
どっちも”キョウ”って読みから始まる。
でも二つは違う言葉だ。
「文字が違う」ってのはつまらないジョークとしては定番かもしれないけど、
少なくとも漢字における文字の違いが割と重要なのは言うまでもない。
そして多分この言葉を二つ切り取って尋ねれば
人は違う意味の言葉であると答えるでしょう。
でもしばしばそれらは重なり合って処理されてるシーンがあるように思えるので
ちょっと考えてみよう、ってこと。

具体的にではどう違う言葉なのだろう。
ざっくり言ってしまえば協調は周囲のベクトルに合わせる事、
共感は相手の心情にシンクロすることと言える。
周囲のベクトルに自分を合わせると言うのは
周囲が持ち合わせる方向性に沿う事は勿論の事、
力の出し方もまた配分することに他ならない。
同じ方向性を向けても自分だけ全力疾走だったりサボったりするのは
協調性が高いとは言い難い。
一方、相手の心情にシンクロするというのは
その人がどういう気持ち(状態)なのだろうと察するための機能で、
その状況や表情などなどから生まれる反応を
実際に自分の中に作り出してみるわけだ。

考えていくと一つ重要なのは協調性とは
必ずしも感情の共有が為されるわけではないという事だと思う。
みんなで一緒に遊ぶのは協調性、
みんなで一斉に大声上げて笑うのは共感性ってわけだ。
協調性が極端に低ければそもそも集団行動を取らないだろうし、
多少持ち合わせてれば集団行動には参加はするけれど、
一緒に楽しむかどうかまでは定かではない何てことだってあるわけだ。
そして皆で集まって盛り上がったからといって
みんながみんな「うぇーい」とは言わないし、
言ってない人が楽しんでないかっていと必ずしもそうではないのも頷ける。
楽しさの表現はそれぞれあるし、表に出すタイプでも
自分からはっちゃけちゃう人も居れば、はっちゃけた人に合わせて
はっちゃける人も居るわけだ。

こうして具体例を追っていくと共感とは単なる機関機能にとどまらず、
積極的に共感したいと言う感情を有する場合があることが見えてくる。
となると例えば一緒に楽しみたいとは、
一緒に楽しい遊びをしたい、
一緒に楽しい事をして楽しいと言う感情を共有したい
とよくよく見てみると求めてるものが違って来たりするわけだ。
更には当然逆方向やニュートラル方向も存在するわけで、
むしろ共感したくないと言う反応だったり、
共感するかどうかにそもそもウェイトを置かなかったりという事が出てくる。

この辺は別に人間心理の深淵とかじゃなくって、
単に生物多様性に含まれるお話だと思うのだけれど、
それでもたまにこういうことを考えるのは
私は悪い事じゃないと思ってます。
どうも世の中あいまいな部分の混同や勘違いで
軋轢が生じちゃってるんじゃないかなぁって思ってるからです。
ちゃんと明確に分かり合ったうえで人間が合わないと言うのは
これはもう生まれ持った天分ですからしょうがない。
でも不明瞭な部分ですれ違うのは
これは不幸だと言えると思うわけだからなのです。

まぁたまには絵に直接結び付きそうにない
こういう与太話をしても良いでしょう。
ダイバーシティな所はなんとなく”あかでみっく”な感じがしますしね。

しきゃくあらわる

2817

最近またちょっと目が痛むことが増えてきた。
喉が痛んでも絵には困らないけど
目が痛んではよくないだろうから
大事に使っていきたいものです。

怖い

2816

私は絵が描けることそのものは特殊技能ではないって思ってます。
他の職業、趣味と同程度のお話、単に出力先が違ってるだけで、
そういう意味で描けることそのものは別に特別でもないし、
そして生まれ持ったものが無ければ
習得は不可能というわけでもないって考えてます。
オリンピックで一番になるのは
生まれ持った才能が必要でしょうが、
足を使って走ること自体は訓練で出来る事でしょう
そこには勿論速い遅いがあるとしてもです。

絵をそれっぽく見せる事自体はツボを押さえてしまえば
言うほどのものじゃないって旨を最近記事で書きました。
言葉自体はわざと極論ぽく書いたのはそうなのですが、
思ってること自体は事実です。
でも実際は大したことは言ってなくって、
例えば歌だってツボを押さえたら
それっぽく歌えてることになるよねって
感じのお話をしたに過ぎなかったりします。

ある程度までなら生来もって生まれた能力に関わらず
習得可能というのは絵に関わらずどの分野においても
多分当てはまるとは思いますけれど、
同様にどの分野でもそうであるように、
向いた才能というのは存在するわけです。
いわゆる一般的に絵に向いてる才能は割とシンプルで
例えば小学校の写生会が苦手じゃなかった人は
そのスキルを所持してると言えるし、
大人を判別するなら字がきれいに書ける人は
絵もまた同等に出来うると考えて良いと思ってます。
そんなわけで世の中で音楽をやる人が割かし多いのと同様に
絵を描く人もまた割と多いなぁと言う世の中のからくりは
こういった所からくるものだと私は思ってます。
絵も歌もそもそもがコミニケーションツールでありますので、
生物、人類が進化してきた流れでごく自然に発達した才能なので
割と有する人が多いと言うのが多分理由なのでしょうが、
実際はどうか知りません。

さて表題の怖いと言うのはこの辺に由来するわけなのですが、
それは「できる人は多い」という事。
これは勿論特別な才能を含むお話ではありません。
例えば歌ならその人の歌う声そのものに不思議な力があるって人が
世の中には居るでしょう。
そういった才能もあれば、歌詞やリズム、世界観等で勝負する人も居るだろうし、
絵もまた同様だと言うわけで、
描き出す絵そのものにパワーが残念ながら無いならば、
描く絵や題材、世界観、技術等で勝負していくのです。
こう考えていくと、イラスト一枚絵で勝負するってすごい事だなぁと言う
私自身この文を書く今まで持ってた考え方は単なるセンチメンタルに過ぎず、
実際には一枚絵でも同様に絵そのものだけでなく
色んなものを複合しうるのだなぁと気づかされるのです。
いずれにせよ比較的普遍的な能力を用いて競争するっていうのは
とても怖い事だと思うのです。
そもそも何か特殊な、極端な話をするなら腕が四本生えている人類のみが可能
見たいな感じに生まれ持った物勝負であるなら、
そう生まれたなら生かせばいいしそうじゃないなら端から弾かれるわけですから。
そして恐ろしいことに”いわゆる一般的に必要な才能”も
必要最低限の能力ではなく、あれば申し分ないと言うレベルのもので、
そうした混沌とした世界は十分恐ろしいと考えて差し支えない気がします。

私個人レベルのお話に戻りますと、
本当の所は”怖い”ではなく”怖いだろうなぁ”だったりします。
私自身別に勝負の荒波にいまだもまれてはおりませんし、
生来の楽天的な性質がそうした未来予測から来るものへの実感を
生じさせることはないからです。
挑戦精神旺盛に生まれたならワクワクするのでしょうが、
どうなんでしょうねぇ。
いずれにせよやっぱり絵への求道心は当面並列回路。
三つほど寝ころびながら思いついたお話を形にすることのほうが
今は大事なのです。
わたくし刹那的な人間ですから。

要素

2814 


後で自分で見返すために
記事として文章を残しておく、と思って
無題白紙の文章を編集しなおしてるわけですが、
ブログを始めて何年も経ちました、
何かいたか忘れてるのが大半でしょうが、
いまだ読み返すという事は行われてませんので、
どうなんでしょうねぇ。

さて内容は絵の要素について。
コメントの返事中に絵の要素として

内部構造の把握、パース、カメラ(目)のレンズ

の三つをある程度会得しさえすれば見られる絵になると言う旨の発言を
唐突にいたしました。

なんのこっちゃって感じですが、ばらしてしまえば
別に難しいことは言ってなくって、
まず内部構造の把握。
これは『なぜこういう線を(で)描いたのか』という理由づけです。
私も含めなぜと問われれば良い感じだからと読書感想文よろしく
素直に一文で表現したくなりますが、
表現者を目指す場合はそうは問屋が卸してくれないわけです。
顔の輪郭やら腰のライン、はたまた屋根やら道路、樹木に至るまで
そのどれもが理由があってその形になってるわけで、
肘の骨があるから肘はとがってるし~みたいなお話です。

次にパース。
これの存在自体は勿論現実世界を二次元に落とし込むためのテクニックですが、
その存在自体は極端に難しいものではなくって、
近くのものは大きく、遠くのものは小さく見えるっていう
現実世界の実にシンプルなお約束を守ろうと言うお話です。

最後にカメラのレンズ。
絵にする以上切り取られた瞬間の画となるわけでして、
目で見た風景、カメラを通してみた風景等色んな見え方があり、
更にどこから見てるのかという事にもつながるわけです。
近くからみてるのか遠くから見てるのか。
監視カメラよろしく上からのぞいてるのか
対象物と同じくらいの目線で見てるのか等々。
単純に言っちゃえば今から描く対象物を上から見た感じで描くのか
はたまた~ってのと、更にカメラ知識があるなら(私はありません)
広角レンズやら望遠、はたまた魚眼レンズ等によってゆがんだり広がったりする
見え方を導入してみせたりできるわけです。
更には自分の夢の描写なら好き勝手にゆがめたりもすれば良いわけでありまして、
言ってることは至極簡単、というわけです。

描きたいものの形を捉え、遠近法等を用いて配置を決め、
その際にどこから見てる絵かも考慮し、
更にアクセントがほしければそのあとにフィルターを噛ます、といった感じで
絵は出来上がるわけですね。

こうした流れの中でなぜ写実という要素が登場するのか。
これはいたって簡単なお話で、
絵を見る人も描く人も目にする絶対量が多いのは何でしょう、
というお話だからだと私は思ってます。
どんなに二次元に愛情、あるいは造詣が深い人間でも
まぁ生まれてから死ぬまでで三次元より二次元を見てた時間のほうが多い
という人間は中々居はらないでしょう。
だから学習する上でも身近であるのは一つとっつきやすいわけですし、
見る側にも最も見慣れているものに訴えかけるわけですから
説得力が違ってくるわけです。
だからそのルートを通らない手は無い、というお話なんでしょうねぇ。

思っても同じ

2813

いつもより早く家を出て遅く帰る。
私のように好きあらば絵、漫画など
描いてやろうかと思ってる人間にとっては
あんまり嬉しい日じゃあない。

私にとって生きる上で一つ重要なのはストレスフリー。
どうも世の中大体のことはストレスで片付いちゃうみたいだからだ。
老けたらストレス。体調もストレス。気分もストレス。
そんな世の中ならそれを避けたいと思うのは当然だ。
ある日時計とにらめっこしながらヤキモキしてる友人が目の前にいた。
普段のややのんびりおっとりした様子とのギャップをやや楽しみながらも、
さりとてニラメッコしたところで待ち人が来るのは待ち人次第だし、
時間が早く進むわけでもなかったのでついつい
「そんなに見てもはよ来るわけちゃうよw思ても思わんでも変わらんて…w」
とからかい半分で茶化したものでした。

これは私にとっても勿論ただのジョークだったのですが
この言葉は割とはっとさせられるものでした。
世の中思ってもどうしようもないことはたくさんある。
思うだけ損とはいかないけれど、思うことがストレスになる状況なら
思わない方が得な状況はある感じじゃないかと考えたわけです。

まぁ私の考え方は実はただの文章上のお飾りで
夜早く寝てしまったので朝早く起きてちょっと絵も描きましたと言うお話。

背伸び

2811

等身大が良いのはそうだろうと思うけど、
つま先立ちしないと付かないフクラハギの筋肉とかも
あるのでしょうね。

量と質

2810

よくある言葉と言えば、
ただ長時間やっても仕方なくって
短時間で濃密で能率よくってのがありましょう。
もっともな言葉だと思うし、
実際私も能率が良いのは好きだ。

最近私は”こなした数”ではなくって”こなした時間”のほうが
重要なんじゃないかって発言をしたらしい。
どういう事だろう。
数をこなすというのがこなしているうちに
手段から目的にすり替わってしまう危険性や
辞めたっていいとは良いと言ってもできればなんだって
続けたほうが良いのになぁと言う願望が
そこに含まれていることは確かかもしれない。
量より質だと言う上記になんとなく反するチックな言葉を使って
印象度を上げようと言う作戦もあるのかもしれない。
でも基本的に私はそういう装飾はするほうだけど
割とストレートに言ってたりするタイプなので、
その言葉もそのままの意味があるだろう。
それは多分人間の仕組みでしょう。
生まれつき、あるいは生きてる中で偶々備わった回路が
そのまま流用できたりすると、その分野に最初から適合してるとか
才能があるという風になるんじゃないかというお話。
普通大抵そう都合よくは行かないから最初はできないのが当たり前なわけだ。
訓練しなければ逆上がりはできないけど
ビッタンビッタン毎日鉄棒と格闘してれば
ある日突然くるりと回る日がやってくるし、
黙って聞いてるだけの赤子もある日突然しゃべりだす、って寸法。
何かができるようになるにはその神経回路が形成される時間が必要で、
それにはどうしても時間経過を経る必要があるんじゃなかろうかという
考えからくる言葉なのでしょう。

2809
変な絵ならいつでもすぐ描けるし
いくらでも描けるものだ。
言いたくないけど疲れてるのでしょう。
昨日は久しぶりに夕方になる前に予備電源に切り替わった感じで、
夜はすぐに倒れるように寝てしまったのだから。

わんやわんや

2807

目いっぱい歌を歌ってみてもむせなくなったので
すっかり喉の具合はよろしいようで何より。

2808 

定例絵の変遷。
安定と停滞は紙一重って言葉にできそうだけど、
それは言いたいだけの感覚で
実際には割と明確に区別できそうでこの場合は停滞でしょう。
現状私はデフォルメ傾向強めの絵柄のため
それぞれの配置のほかには目と髪の毛と眉毛くらいで
基本的にキャラの描き分けをやってる状況です。
残されてる物のほうが今は多く、
鼻、口、輪郭といったところが次なる選択肢となるのでしょう。
手なんかも割と個人差の大きいパーツだとは思うのですが、
そこまでいくととさすがに労力に見合わないかもしれないなぁと思います。
なので今はせいぜいスラリとかプックリ、ごつごつといった程度を
気分で付加してる感じです。
鼻に関しては別に今の時流に多少逆らって線を増やしても
全く問題ないパーツだと思いますが、
私個人が点に近いきわめて簡素化された鼻が好みだったりするのです。
口は唇を導入せざるを得ないと思いますので、
採択は顔の中では多分一番最後になるんじゃないでしょうか。
という感じで鼻と口に関しては現状大体どのキャラも一緒となってるわけです。
輪郭はメインキャラにも本当はもっと積極的に取り入れたいのですが、
現状ちょっとしか為されてない感じです。
これも本当は理由があるはずで
普段感覚頼みのニュアンス系でぼんやり生きてる私のために
ブログを書いてる自分が分析をしてみるに、
多分今使ってるのが思いっきり好みの漫画的デフォルメが為されたもので、
個性を出すにはライン取りから変えざるを得ないから
おのずとスタンダードの部分も変えないとダメになるからでしょう。

モロモロ

2804

きな粉を溶かして飲んでるけど気に入ってるって話を聞く。
きな粉は確かに美味しいでしょう。
それにハチミツやらミルクやらで工夫すればより一層そうでしょう。
しかし私は慎重だ。
「それって溶けずに残ったりしません?」
オブラートに包んで問う。
モロモロじゃないですか?とか粉でむせません?とか直接的に言わない。
「大丈夫だよ~」
そう返される。
そうならばと試してみました。
最初にお湯で溶かしてから混ぜるという入念で作ってみました。
結果としては牛乳一気飲みペースなら滑らかなまま飲めそうでした。
コーヒーが冷めるのごとく絵などやりながらボチボチには
あんまり向かないのかもしれませんね。

絵に対するアプローチ

絵そのものに対する私個人の考え方と来れば
連想的に絵そのものに対するものはどうなのかと来るかもしれません。

more...

絵と写実

さてコメントの返事としては長すぎる事となりそうだと
端折った話題に関して少し。
絵のやりように関するお話しです。

more...

おおいたみよ

2803

筋肉痛だ。
「痛みこそが生きてる証」
なんて言葉に重ねながら
「筋肉痛こそが強くなってる証」
ってきっと思ってるに違いない(偏見)マッチョマン候補生ならば
筋肉痛は嫌じゃないのかもしれないけれど、
丈夫になりたいけど痛いのは普通に嫌なわたくしにとっては
あんまり喜ばしいとは思えない代物。

ぐるぐるぐる

2802

基本属性が”ものぐさ”なため、マメ属性に近しいものは
基本的に人のよさげな特性をトレスすることで習得しています。
最近取り込んだ一つは”超お好み音楽リスト作成”。
わたくしとて全くの雑人間ではありませんので
多少はよってリストを作りますが…いえ正確には
全部放り込んだ後飛ばす頻度が多そうなのを適度に省いておしまいですが。
何にせよそうしたやり方だと当然グレーゾーンのものに関しては
残ったり残らなかったりするわけです。
「たまには聞いても良いな」とか「ある程度頻繁に聞きたいな」とかいう
グレーなのはばっさり省いて超お気に入りのだけでリストを作ると
もうかかる曲かかる曲が全部良いわけでありまして、
これは実に気に入ってます。

不慣れ

2801

男女ともに現状あんまり裸体に近いのは描いてないので
不慣れ感はずっと隠せないでいます。
私の場合は不慣れなものや未消化なものほど
写実に近づきますので一目瞭然なのかもしれません。

カレンダー
04 | 2016/05 | 06
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
プロフィール

でき

Author:でき
----------------------
マンガ準備中な社会人
----------------------

----------------------

カテゴリー
月別アーカイブ
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

漫画用アルバム一覧
最近の記事
最近のコメント
過去絵抜粋
リンク
ブログ内検索
フリーエリア
にほんブログ村 イラストブログへ
にほんブログ村 漫画ブログへ