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チビドモ

3177

田舎の風土故か、一人っ子がおらず、
何だか倍々ゲームの様相を呈してきてます。

いとこ同士なわけだから、
今までのおっちゃんおばちゃんはじーちゃんばーちゃんに、
我々はおっちゃんおばちゃんに
それぞれランクアップなわけです。
勿論それで正しいわけですが、
気の若い集団(私をどうやら含むようだ)などは、
さながら漫画のベタな設定のごとく、
お兄さん、お姉さんですよと修正をすり込もうと試みます。

ところがまぁ、小学校に上がろうかと言う頃合いになりますと
どうやら十分理解とやんちゃ心がおありのようで、
全く聞く耳を持ちません。

親の顔が見てみたいと親をにらみますと
まぁその子にしてこの親ありとばかりに、
そこは昔さながらのニヤニヤした、いとこの顔があるわけなのです。

ドラえもん

3174
絵をたしなむ者の教養として、
ドラえもん位は勿論空で描けはするけれど、
じゃあ絵柄事真似られるのかっていうとこの体たらくです。
原作の漫画(評判が良いですね)に触れた人とかだと
違うのでしょうか?

私はドラえもんのファンの一人でありますので、
毎週のテレビアニメはちょっと見れてないのですが、
せめて映画くらいはと、全作見てたりします。
20作くらい、今調べてみると26作目からリニューアルされて、
そこからは旧作のリメイクを挟みつつで毎年上映されてるアレです。
勿論これだけ沢山ありますと、個人的な好みやランキングなんかも
自然と出来てくるわけでしょうけど、
個人的なそういうのはともかくとしまして。

今年のドラえもんは全球凍結がテーマっぽいポスターを見かけまして、
すごく期待していたのですが、
実際見てみまして、非常に面白い映画でありました。
個人的にはリメイクよりもオリジナルを応援してますが、
ようやくオリジナルストーリーでこれは好き!って堂々と言えるのが
出来まして、私は非常に喜んでおります。






よわい

3173

両親が50代だけど末同士なため、
じーちゃんばーちゃんが知らぬ間(88とかありましたけど…)に
みーんな90前後になってしまっておりました。
じーちゃんなどはうっかり転んで頭を打ってしまって、
すっかり色んなことが抜けたりするようになってしまいました。


生命

3172

生命とは何でしょう?
生きるものだ、強く生きることを望んでいるものだ。

例えば私がこうしゃべりだしたとして
(私は頭の中で考えてることを口に出すことは余りありませんが…w)
はしっこい、悪く言えば言葉尻を捉えがちな人などは
この瞬間に「本当に?」なんて口を挟むかもしれません。
ただこれに関しては特に難しいことは無いでしょう。
生きなきゃ死ぬわけです。

さて、人の色んな感情と言うか行動原理のすべては
”生きる”につながると言うのが、私の考えたことでした。
所でここでもう一つ私の考え方を引っ張り出してみると、
それは、『人は自然の一部(つまり人工物も自然物と変わりない)』
と言うものですが、
えーこの後、義務教育で習ったのに全然言える機会がないじゃんと
思っていた言葉を敢えて使いますけど、
この2つの私の考え方の連立方程式を解きまするに、
考える方向性はある程度シンプルであると言える気がします。

後々から、あるいはかなり俯瞰して、
もしくはきっちり論理的に考えたならば、
多分答えはもっと早くに得られたのでしょうが、
はっきり言って私は重度の直感型で、
重ねて頭の中で言語化して考えることもしないので、
ブレイクスルーを待たなければならないことが往々にしてあるのです。

今回の場合で言うならば、人と自然が一体である事、
人が特別じゃない、思考が特別じゃない、精神は高尚なものじゃない、
と言う考え方をそのまま拡張してやれば、
おのずと生命と非生命の境界線についてや、
その先についても考え出せるわけでしょうけど、
そうはいかなかった合理的でない私の思考の旅のお話だというわけです。

多分5年くらいたってからの事でしょう、ふとそう考えるようになったのは。
そう、上記のような非合理的なオツムの私は『ふと』と言う形で
次の考えをしだします。
最初のふとは、どうも生命と非生命を分けて考える事自体が不自然で、
そうしてみると、川の流れが生み出す川面の模様や
風、雲なども実に環境に合わせて形が生まれるものだし、
台風なんかも生まれて消えてゆく存在で、
こう考えてみれば色んなものは
それこそ生きてると言えるのかもしれないという事です。

精神が特別であるという前提がセンチメンタルに過ぎないなら、
どうして生命が特別であるというのがそうでないと言えるでしょうか?
ただしこれも後追いの思考で、
とりあえず生命と非生命を区別すべきでないと考えだした時点では、
「なぜ生きているのだろう?生命とは何だろう?」
に関して考えるなら、目の前の石がどうして存在しているかについて
考える方が多分早く答えにたどり着くんじゃないかなという思いが
生じたのみでした。

今現在はもう少し具体的に生命も非生命の形の一つであって、
一見特異に見える事象も切り取り方のお陰でそう見えているだけ。
こんな風に考えています。

生命に関してのぼんやり考察はおしまい。

…ん?この流れで行くなら次はいよいよ『存在』になるんじゃない?
そうかもしれない。
そうなると今持っている考え方は、
”そういう風に出来ている”となるかしらん?
つまり、そういう風に出来てない世界にはそういう風なものは生まれてない、
そう、冒頭の生きようとしないタイプは死んじゃったという話と
まぁ、同じお話なんじゃないかなって思うわけなのです。

心理

3171

小さいころ、生き物や自然に対しては普通に好きだったけれど
それはあくまで体験的な好きに過ぎず、それ以上何か考えることは無かった。
ここで何かある人はそっちの方向に人生を歩みだすんでしょうね?
小さな疑問は勿論あっただろうけれど、
自分の中で問題として生物関係で上がってきたのは
『心理』で、勿論御多分に多分に漏れずそういったことに興味を持ったのは
思春期の頃であったように思う。

基本的に即答を思いつかず、何か頭の中で考える事が出来た場合に
それに関して集中的に考えることを私はあまりしないようで、
心理に関して自分なりの答えをふと思いつくのは
確か二十歳前後、
一応思春期が一段落してある程度自分が固まったかな?と錯覚するあの頃合いのお話。

”どうしてそう感じるのか?”
それが当時のアプローチで、色んな心理≒感情の発現は
そうした方向性から見てみると、
全て『生きる』⇒『生命』へとLinkしたものでした。
例えば”見栄””嫉妬”なども、生命の競争原理においてみれば
特に特別な感情でないと考えられるでしょう。
”痛み””快楽”等の感じる事も生きるための反応であることは
流れの中で同時に考えるはずです。

こうなると心理から生物、生命へと興味がシフトするのは当然でありましょう。

じゃあ生命とは何か?
当然そうした方面に特に見識の深くなく、
20年ほどの時しか経ていない当時の私にとっては劇的に難問としてそびえ立ちました。
直感としては解けない問題ではないと思いましたが、
せいぜい得られる言葉と言ったら、
「人生に意味はない」と言う事くらいでした。
勿論この言葉は、例え私の根底に諦観があったとしても、
そういった無味乾燥と言った意味合いではなく、
意味無意味と言う問いかけこそが多分食い違った話だという事です。
”食い違った”と言うのは例えば、
目の前のスイカが美味しいかどうかについて、
スイカは野菜か果物か尋ねるような感じです。

長くなりました、続きは次にしましょう。

ワンディ

3170
昨年よりは間違いなく忙しくないので、
どうにもならないというわけでは無いのだけれど、
睡眠時間を増やした影響が如実に表れております。
近いうちに是正は済むとは思っていますが。

とりあえずはしようがないので、
文章の形でせっせとストックを作っております。
例えばこんな感じに。
タイトルからの連想系なのでそんな感じ。



”LRP -Ghost Cost Coast-”


世界、灰色、蛍光色のないネオンカラー、点滅、点灯、
街頭を眩しく眺める路地裏。

気配を感じ振り返る。
 ―映像に気配なんてないのに。

意識《錯覚》、倒錯《空間》、交錯《世界》、
私はただ坂を下る。

爆発的なリアリティが圧倒してくる。
「錯覚なんかじゃない!」
おなかの奥がぞわっとなる感じ。
振り向けと私を急かす衝動。
―以下略


こんな感じ。
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