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ホラー考察

本当に大雑把に大きく分けて、
恐怖には二つある。

ひとつは、想定されうる未来への恐怖。
そしてもうひとつは想定不能へのそれだ。

まずは想定されうるほうから。
この場合の確定というのは、何も未来が決まっているという意味ではなく
人間の頭の中のお話で、
例えば、目の前にお腹を好かせて、明らかに人の肉の味が大好きそうな
猛獣がいたとしましょう。
そのときどんな想像が働くかって言うと、
まず、食べられちゃうということでしょう。
食べられるのは怖い。
高所恐怖症も同じで、
もしも落ちたらという未来を想像するので怖いのだ。

想定できないものへの恐怖とは?
そもそも恐怖と言う感情の大本は死へのそれだろう。
ただしそんなことを言うと極端だと言われてしまうかもしれないので、
言い換えるなら安全性の有無がトリガーとなっている、と言い換えられるか。
つまり上記の想定内、想定外という言葉の何の想定範囲かと言うなら、
想定されうる未来での安全性の問題なのである。
想定されうる未来において安全じゃない場合の恐怖と、
想定されうる未来がそもそも見えない場合の恐怖というわけだ。

つまりは未知への恐怖と呼ばれるものである。
ホラーが嫌いな人は意外と多い。
私自身がそういう人間ではないので、ツイツイ人の気持ちが分からず、
多少は誇張も交えて怖がっているのだろうとどこかで考えてしまうので、
怖がっている人に敢えて怖い話を考えてしゃべってしまうことがある。
正確にはあった、だが。
怖がる人が意外と多い為に分かったことだけれど、
どうやら心底怖がっているらしいのでそういうことをするのはもうやめました。

これは他で例えるならば、ジェットコースター、
ちょっとしたスリルは往々にして面白い。
これは勿論安心から来るもので、
安全圏内においてわざと危険を冒すことで、
擬似的な冒険心を満たしたり、
あるいは生への喜びと言うものもあるかもしれない。
そう、こう考えてみると、絶叫マシンを楽しむのは生物的に中々高度な遊びだ。

ちなみに私はあまり高等でないらしく、絶叫マシンは大いに苦手である。

さらに例えるなら、お酒ともいえるだろう。
お酒に限ったことではなく、消化器官の中に入ってきたものは
体内の物質、あるいは細菌によって分解がなされる、、、はず。
唾液でとかされーの胃液でとかされーの云々と言ったあの流れだ。
所謂分解酵素と呼ばれるお話で、
対応する酵素があれば、分解されるし、
無ければ分解されない、至極明快なお話。
お酒の飲める人飲めない人の違いは分解酵素の有無らしくて、
分解がなされることによって初めて、酔いというものが生じるようだ。
つまるところ
分解性能の差こそあれ、酵素を持っている人にとってお酒は
少し飲めばほろ酔い、ガッツリ飲めば泥酔といったプロセスを経るが、
分解できない人にとっては、そもそも単なる異物が体内に侵入するだけなので、
ただ気持ちが悪くなるだけなのである。

ちょっとしたスリルが楽しい人楽しくない人、
酔える人酔えない人、
こうした場合があるならば、
当然怪談においても、ちょっとした怖さを楽しいと思える人
思えない人がいるのも寧ろ当然であると言える、
とまぁこう考えるようになりましたので
少し大人になった、とも言えるだろうか。


さてさて本題に入りましょう。
分かりやすいためにホラー物語を想定しましょう。
映画でも怪談でも何でも良いのですが、
ホラー映画で考えて見ましょう。

基本的にホラー映画のつくりは見る人の想像力、あるいは想定を
計算に入れて創られているようで、

「こうだったら怖いなぁ・・・」

と考えられる場面に対して、
そのままそのとおりやって怖くする場合と、
敢えてスルーし、違ったのかと安心させておいてドカーンとする
言うなれば割とお決まりである。

ホラー映画を構成するものは、

○純粋な物語としての出来栄え
○恐怖
 ・見せ方
 ・そもそもの恐怖へのプロセス

こんな感じでしょうか。

世に出してみてもらうためには、ある程度の整合性、
説得力が一つ大きな鍵を握っており、
どんなに不条理な話だったり不可思議なお話でも、
ある程度の終着駅があれば、
見た人に安心感を与えることができ、
ひいてはそれが物語りそのものへの評価へと繋がる。

普通のお話ならそれでいいのですが、ホラーはそもそも非現実を
対象とすることが多い為に、
この着陸ポイントが大いなる制約になるわけです。
制約と言うよりは条件と言ったほうが正しいでしょうか。

私はホラー映画を見る際、一つの判断材料を持っている。
それはお化け屋敷であるか否かと言うものだ。

どういうことかというと、
大きな音でびっくりさせる、
急に現れてびっくりさせる、
つまり、驚かせてやろうと言う意思がそこに明確に存在するわけです、
お化け屋敷と言うヤツは。
意思が無かったら職務怠慢ですからね。

勿論根本的にホラー映画もお化け屋敷もスリルを楽しむものですから、
驚かせてやろうという意思は必要であります。
ただしそれはあくまで制作上の意図であり、
物語の中に登場するものの意思とは別だということを考えなくてはならない。

どんなに自分自身の哲学があったとしても、
お話の中の登場人物が同じ哲学を持っているとは限らないのは当たり前ということです。
これを踏まえない場合、登場人物がなんだか皆同じように見えてしまうわけです。

映画の中に登場する脅かし役のその殆どに驚かせてやろうという
意思は存在しません。
憎悪、あるいは悲哀から呪ってやろうという意思があっても、
驚かせてやろうという意思はそこには存在しません。
二度言いました。

しかしホラー映画はあくまでエンターテイメントでありますので、
見る人を驚かせなくてはならない。
画面を面白くする為にはどうしても、
脅かし役に脅かしをやってもらう必要が出てくるだ。

気味の悪い声を出してもらったり、
変な顔してもらったりする必要があり、
度が過ぎなければ、見てる人の身を凍らせることができますし、
度が過ぎてしまえば喜劇となってしまうのですが、
この度合いと言うのは人それぞれが持っているもので、
当たり前ですね、人それぞれ何を怖がるかも違うし、
怖がり方の度合いも違う。

酒飲みに弱い酒を出しても水だと思われるし、
ちょっとしか飲めない人に強すぎる酒を出してしまうと
楽しいほろ酔い気分は味わえない。

こういったさじ加減が所謂腕の見せ所、あるいは製作者の傾向となるのでしょう。

であるならば、怖いかどうかと言う形でホラー映画を判断するのは無粋で、
どれだけ怖がらせてやろう!と言う意図が見えないか、
私にとっての判断材料となるのです。

製作者の意図が表に出なければお話に没頭できますので、
うー怖いなぁと思えますし、
意図が見えてしまえば、興ざめしてしまうわけです。
お化け自身が観客を驚かせてやろうと思いたい思わせたいなら、
お化け屋敷やってれば良いんですからね。


実はまだ自分にとっての本題に入れてなかったりする。
そう、恐怖を前提にしたお話をしてきたが、
恐怖そのものに対する考えについては、
最初にざっくりと述べたにとどまっているが、
本当に考えたい、と言うか気になっている部分はそこなのである。
あるのだが、そろそろ寝起きから時間が経ってきて目が覚めてくると同時に
興もそがれてきたのでとりあえず一区切りとしとこう。

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